大判例

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広島地方裁判所 平成8年(ワ)1162号 判決 1999年3月25日

原告 朴昌煥 ほか四五名

被告 国 ほか二名

代理人 齊木敏文 岸秀光 菅谷久男 山中正登 綿谷修 東村富美子 吉弘基成 長井浩一 勝山浩嗣 永谷進 橘晴彦 ほか五名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  甲事件

1  被告三菱重工業株式会社及び被告国は、甲事件原告らに対し、連帯して各金一一〇〇万円及びこれに対する平成八年一月一七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  被告三菱重工業株式会社は、甲事件原告らに対し、別紙二の賃金請求金額一覧表<略>の「価値調整額」欄記載のとおりの各金員及びこれに対する平成八年一月一七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

二  乙事件

1  被告三菱重工業株式会社及び被告国は、乙事件原告らに対し、連帯して各金一一〇〇万円及びこれに対する平成八年一〇月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  被告三菱重工業株式会社は、乙事件原告らに対し、別紙二の賃金請求金額一覧表<略>の「価値調整額」欄記載のとおりの各金員及びこれに対する平成八年一〇月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

三  丙事件

1  被告らは、丙事件原告らに対し、連帯して各金一一〇〇万円及びこれに対する原告朴昌煥、原告梁基成、原告李根睦、原告李炳穆については平成八年一月一七日から、原告金春植、原告方勲栽については平成八年一〇月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

2  被告三菱重工業株式会社及び被告菱重株式会社は、丙事件原告らに対し、連帯して別紙二の賃金請求金額一覧表<略>の「価値調整額」欄記載のとおりの各金員及びこれに対する原告朴昌煥、原告梁基成、原告李根睦、原告李炳穆については平成八年一月一七日から、原告金春植、原告方勲栽については平成八年一〇月一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を各支払え。

第二事案の概要

原告らはいずれも大韓民国の国籍を有する者であるところ、次のように主張して被告らに対して精神的損害の賠償請求をした。すなわち、原告らは、昭和一九年、国民徴用令に基づいて朝鮮半島から日本に強制連行され、当時の三菱重工業株式会社(以下「旧三菱」という。)において強制労働に従事させられた。また、昭和二〇年八月六日には原子爆弾投下により被災したにもかかわらず、被告らはなんらの救援活動をせず、母国への送還義務も履行しなかった。更に、被告国は、原告らが受けた原子爆弾被爆被害に対して何らの援護・補償措置をとっていない。

次に、原告らは、被告三菱重工業株式会社(以下「被告三菱」という。)及び被告菱重株式会社(以下「被告菱重」という。)に対しては、同被告らが旧三菱の債務を承継したこと、原告らは旧三菱に対して未払い賃金等の債権があること、を主張してその支払いを求めている。

第三前提事実及び損害事実に関する原告らの主張

別紙三「原告らの主張」<略>記載のとおりである。

第四旧三菱と被告三菱及び被告菱重との関係

第二次世界大戦後、旧三菱は、会社経理応急措置法(昭和二一年法律第七号)上の特別経理会社、企業再建整備法(同年法律第四〇号)上の特別経理株式会社となった後、昭和二四年七月四日、企業再建整備法による再建整備計画の認可申請書を提出し、同年一一月三日、その申請どおりの内容で主務大臣の認可を受けた。そして、昭和二五年一月一一日、右再建整備計画に基づいて解散し、同日、旧三菱の現物出資等により新たに企業再建整備法上の第二会社として中日本重工業株式会社(昭和二七年五月二九日に新三菱重工業株式会社に商号変更し、さらに、昭和三九年六月一日、三菱重工業株式会社に商号変更した。)、東日本重工業株式会社(昭和二七年六月一日に三菱日本重工業株式会社に商号変更した。)、西日本重工業株式会社(昭和二七年五月二七日に三菱造船株式会社に商号変更した。)の三社が設立された(以下、この三社を「第二会社三社」という。)。一方、清算会社となった旧三菱は、昭和三二年三月二五日に設立された被告菱重に吸収合併され、同年一〇月三一日に解散した。

その後、昭和三九年六月三〇日に第二会社三社のうち、新三菱重工業株式会社(ただし、当時の商号は三菱重工業株式会社)が他の二社を吸収合併して被告三菱となった。

第五本件の争点

一  被告国の責任について

1  国家の構成員である国民個人が、他国の国際法違反行為を理由として、当該他国に対して直接に損害賠償請求をすることができるか。

2  大日本帝国憲法下において、被告国が原告らを徴用して広島に移送し、旧三菱において労働に従事させたことが違法であると主張して、そのことを理由に被告国に対して損害賠償請求をすることができるか。

3  被告国は原告らに対し、損失補償の法理、安全配慮義務違反、結果責任の法理及び条理に基づいて損害賠償責任を負担するか。

4  終戦後、原告らの原爆被害に対して被告国が具体的援護措置をとらなかったことは違法か。

5  立法不作為の違法性。

二  被告三菱及び被告菱重の責任について

1  国家の構成員である国民個人が、他国の法人の国際法違反行為を理由として、当該他国の法人に対して直接に損害賠償請求をすることができるか。

2  旧三菱は、原告らを朝鮮半島から強制連行したといえるか、また、旧三菱が原告らを労働に従事させたことは違法か。原爆が投下された後の原告らに対する救護措置及び朝鮮半島への帰還の手配につき、旧三菱に違法と評価される不作為があったか。

3  旧三菱に安全配慮義務違反の違法があったか。

4  旧三菱は原告らに対して未払い賃金等の債務を負担しているか。

5  原告らの被告三菱及び同菱重に対する損害賠償請求権及び未払い賃金等請求権は時効あるいは除斥期間の経過により消滅しているか。

6  被告三重が旧三菱の債務を承継しているか(別会社論)。

7  旧三菱が原告らの賃金について行った弁済供託は有効か。

8  原告らの被告三菱及び同菱重に対する各請求権は「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」第一項により消滅しているか。

第六争点についての当事者の主張

一  原告らの被告国に対する主張(請求原因)

1  強制連行・強制労働についての損害賠償請求

(一) 国際法に基づく責任

(1) 責任根拠

国際社会においては、国際法上の違法行為は、国内私法上の不法行為に類するものとして扱われており、国が国際違法行為を行い、個人の権利を侵害した場合は、国がその個人に対して、その原状回復ないし損害賠償義務を負うというのが第一次世界大戦後の確立された国際慣習法であった。

このことは、「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(第四ヘーグ条約、日本の批准は明治四四年)第三条が戦争の法規と慣例の違反に賠償を支払う国家の義務を規定していたこと、また第一次世界大戦後のベルサイユ講和条約二三一条及び二三二条が、ドイツ及びその同盟国に対して、連合国に生じた損害を賠償すべき義務を規定するだけでなく、連合国の国民に生じた損害をも賠償すべきことを規定し、それと同様の規定がドイツ・オーストリア間のサンジェルマン条約一七七条、ドイツ・ブルガリア間のヌイイー条約一二一条に存在したこと、さらに大正八年(一九一九年)に発生したホルジョウ工場事件に対する常設国際司法裁判所判決(昭和三年(一九二八年)九月一三日)が国際違法行為を行った加害国が当然に原状回復ないしは損害賠償義務を負う旨を明らかにしていること、などから明らかである。

我が国も、ドイツとベルサイユ講和条約を締結し、ドイツによって被った日本国民の被害について、「平和条約第八編に該当する損害を受けたる帝国臣民申告方」と題する外務省令等を出して、国民に被害の申告をさせており、日本政府が、この時点で国際人道法違反の行為に対する被害者個人の国際法上の損害賠償請求権を認めていた。

(2) 原告らの国際法上の権利能力

国際法上の問題は、国際管轄権によって解決されるが、その行使は、必ずしも国際裁判所その他の国際機関に専属するわけではなく、いずれかの国の国内裁判所であっても、その国内法により国際法上の問題に対する管轄権が与えられ、かつ国際法に準拠してこの管轄権を行使している限りは、国際管轄権の行使を分担しているとみなすことができ、この場合には、国内裁判所によっても個人の権利義務の実現と執行を担保できることになり、個人の国際法上の権利能力を取得しうる要件を充たす。具体的には、国内裁判所で問題とされている条約の規定が自動執行性をもつ場合はもちろん、国際法上各国の裁量を制限してその履行を厳格に義務づけている場合には、その限度で、個人の国際法上の権利能力の承認について国家間の合意があったとみなければならない。したがって、右のような場合には、個人にも国際法主体としての権利能力が認められている。

そして、以下に述べる戦争犯罪責任(朝鮮の排他的統治権侵害、「人道に対する罪」違反)に関する国際慣習法が自動執行力を有することは広く認められており、また、強制労働条約の規定は具体性を有しており自動執行力を有する条約といえる。

したがって、これら条約及び国際慣習法の適用により、原告らに国際法上の権利能力が認められているといえる。

(3) 違反事由

<1> 朝鮮の排他的統治権侵害

原告らはいずれも、国民徴用令の適用を受けて広島へ連行され、就労させられた者であるが、日本の法令である国民徴用令が朝鮮に適用されたのは、韓国併合条約以後に施行された「朝鮮ニ施行スベキ法令ニ関スル法律」に依拠して、閣議決定(「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」昭和一九年八月)で国民徴用令による一般徴用を朝鮮においても発動することが決定されたことを根拠としている。

しかしながら、別紙三「原告らの主張」<略>で述べたとおり、そもそも第二次日韓協約、韓国併合条約が国際法上無効あるいは不成立であり、右の「朝鮮ニ施行スベキ法令ニ関スル法律」の適用根拠となる統治権は元々存しなかったものである。

したがって、本件強制連行・強制労働行為は、被告国が、何ら統治行為を及ぼす根拠なく、罰則の威嚇のもとにその身体の自由を侵害し、労働を強制する立法を行ない、これを実施したものにほかならない。これは、まさに被告国の国家機関による朝鮮の排他的統治権侵害という国際法違法行為を構成するのであって、これにより生じた損害については、被告国が原状回復ないし損害賠償の義務を負う。

<2> 「強制労働に関する条約(ILO第二九号条約)」違反

昭和五年(一九三〇年)に国際労働機関の総会において、強制労働ニ関スル条約(ILO第二九号条約)が採択され、被告国は、右条約を昭和七年に批准した。これにより、右条約を遵守する法的義務を負い、これに反する行為は国際法上の義務違反行為を構成する。

右条約は、「強制労働」を「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラノ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労働」と定義している(二条一項)ところ、各原告の被害状況を見れば(別紙三「原告らの主張」<略>)、原告らは、明らかに任意に申し出て労働に就いたものではなく、国家の強権により強制されたものである。また、「処罰ノ脅威」については、「徴用に応じない者に対しては、国家総動員法に基づいて、一年以下の懲役又は千円以下の罰金に処せられる」旨が規定され、法律に基づく刑罰による脅威があっただけでなく、右の「処罰ノ脅威」には、暴行・脅迫・監督などの事実上の制裁の脅威を含むとされているところ、原告らは、逃亡して捕まれば拷問されるといった脅威、逃亡しても日本語を解しない原告らには生きる術がないとの脅威、また、「まじめに働かなければ毎日の食事に必要な食券を交付しない。」との脅迫による飢餓の脅威等のもとに旧三菱の寮から逃亡することができなかったのであるから、この要件をも充たしている。

したがって、原告らが就かされていた労働は、右条約にいう強制労働に該当する。

さらに、右条約四条一項は私企業に対してその利益のための強制労働を許可することを禁じているが、原告らは、旧三菱という私企業の労働力として企業の生産業務に従事させられていたのであるから、国家的利益とともに企業の利益のための強制労働でもあり、この条項に反する。また、同一二条は、強制労働はいずれも六〇日を超えてはならない旨規定しているところ、原告らは、当初から一年間の就労を言い渡されて強制連行され、実際に一年近くもの間、労働を強制されていたのであるから、右条項にも反する。

したがって、被告国の行なった強制連行・強制労働は、右条約違反であり、国際法上の義務違反行為を構成する。

<3> 「人道に対する罪」違反

「人道に対する罪」は、第二次大戦後、ニュールンベルク国際軍事裁判所条例、極東軍事裁判所条例において定められた戦争犯罪である。極東軍事裁判所条例第五条Cは、「犯行地の国内法違反たると否とを問わず、本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に関連して為されたる、戦前又は戦時になされたる殺戮、せん滅、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為、若しくは政治的又は人種的理由に基づく迫害行為」等を人道に対する罪として裁くことを明記した。

原告らは、自国から有無を言わせず言葉も通じない日本へ連行され、乏しい食糧しか与えられず、健康保持に対する配慮が全くなく、逃亡防止のため監視された生活下において、長期間にわたる労働を強いられていたのであるから、まさに「奴隷的虐使」状態にあった。かかる「奴隷的虐使」について、右条例は、国際軍事裁判において罪を問われるべき戦争犯罪としているのであるから、被告国が「奴隷的虐使」状態へ原告らを送り込み、利用した国家行為(立法行為・法適用行為)は、国際法上の違法性を有する。

また、被告国が明治四四年に批准した「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(第四ヘーグ条約)第三条に戦争の法規と慣例の違反に賠償を支払う国家の義務が規定されており、この条項はジュネーブ条約(昭和二四年(一九四九年))で再言され、さらに、同条約の共通条項として、いかなる国も諸ジュネーブ条約に記されている重大な侵害に関して、自国あるいは他の国が侵した責任を免れさせることはできないという規定がおかれている。このようなことから、人道法上の違反行為に関する賠償義務は、第二次大戦前、既に国際慣習法化していたといえる。

さらに、被告国は、サンフランシスコ平和条約で極東軍事裁判所の判決を受諾し(同条約第一一条)、「人道に対する罪」の違法性について承認している。

(4) 以上の国際法上の違反事由に基づき、被告国は原告らに対して、損害賠償責任を負担している。

(二) 国内法に基づく責任違反

(1) 不法行為に基づく損害賠償請求

被告国は、原告らを朝鮮半島より強制連行し、旧三菱と共同して原告らを強制労働させた上、被爆後、原告らを放置するなどして救護措置をとらず、朝鮮半島への帰還義務を果たさないなどして原告らに違法に損害を与えたものである。

被告らが主張する国家無責任の法理については、明治憲法下においては、実定法上の根拠は存在せず、司法裁判所が民法の解釈上、権力的行政活動を責任阻却事由として認めていたにすぎない。

日本国憲法一七条は、国家無責任の原則を明確に否定しており、現在、そのような法理に導かれて民法を解釈することは許されない。そして、法令の解釈は、過去の時点の解釈に従うべきではなく、現時点における法令の解釈を適用しなければならない。よって、現時点における民法の解釈としては、国家無責任の法理を当てはめる余地はない。

このように従前国家が享受していた公権力の主体としての特権的地位は否定され、国家は私人と同一の責任を負うに至ったのであるから、国家賠償法附則六項の「従前の例」とは被告国が主張するような「国家無責任」を指しているのではなく、民法の適用を指しているというべきである。

したがって、被告国は、原告らに対し、民法七〇九条、七一九条、七一五条に基づき損害賠償責任を負う。

(2) 損失補償の法理

大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)下においては、「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルゝコトナシ」(二七条一項)と財産権の保障の原則規定を設けつつも、「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」(同二項)と規定していた。

このように財産権の保障の原則規定があり、損失保障が正義公平の見地より特別の犠牲に対する調整として認められるものである以上、日本国憲法二九条三項同様、明治憲法下においても財産権の公用収用に対して無補償でよいと解することはできず、条理に基づく損失補償が認められるべきである。

したがって、明治憲法下の国家の行為により特別な損害を受けた者は、損失補償を請求できるというべきである。

また、明治憲法下における損失補償の法理は、日本国憲法二九条三項と同様、「財産権」について規定したものではあるが、財産上特別の犠牲が課せられた場合と、生命身体に対し特別の犠牲が課せられた場合とで、後者の方を不利に扱うことが許されるとする合理的な理由は全くなく、両者は等しく補償を受けるべきものである。よって、明治憲法二七条一項に基づく損失補償の法理は、生命身体に対し、公益のため特別の犠牲が課せられた場合に適用ないし類推適用されるべきである。

そして、原告らは国民徴用令による強制連行、強制労働により、身体に対し、特別の犠牲を受けたものであるから、明治憲法二七条一項に基づく損失補償の法理の適用ないし類推適用により、被告国より損失補償を受ける権利を有する。

(3) 安全配慮義務違反

被告国は、国民徴用令により、旧三菱とともに原告らを広島まで強制連行し、旧三菱の広島機械製作所又は広島造船所において原告らを強制的に、長時間かつ空腹下での重労働という過酷な条件で労働に従事させた。そして、原告らが就労した工場及び収容された寮周辺には警官や憲兵を配置し、工場までの行き帰りは学徒動員の勤労学生等に引率をさせて行動の自由を徹底して制約し、旧三菱とともに原告らの監視にあたり、また徴用工が逃亡することがあれば特別高等警察にこれを追跡させて身柄を拘束した後厳罰に処するなど、種々の罰則を定めて労働を強いていた。したがって、被告国も、原告らと事実上の労働関係(公法関係としての直接の雇用関係)にあったということができる。

しかしながら、被告国は、旧三菱が後述するような安全配慮義務違反を犯すことを防止せず、これを容認してきた。したがって、被告国も、被告三菱及び同菱重と同様に、安全配慮義務違反の責任を負う。

なお、安全配慮義務の内容を特定しその義務違反に該当する事実を主張、立証する責任は、原告ら側が負うとしても、安全配慮義務の内容の特定が容易でないこと、安全配慮義務の実現は使用者側の独占管理下においてなされる場合の多いことを考慮すれば、具体的状況に応じて安全配慮義務違反の推定をなすべき場合が多いと指摘する学説も存在し、このような安全配慮義務の特質からは、本件において原告らが行う程度の主張、立証があれば、安全配慮義務の内容を特定し、かつその義務違反該当事実の主張、立証としては十分である。

(4) 結果責任の法理

国家の役割が増大するに伴い国民の特定の部分に特別の損害が発生すし、この損害の中には、損害賠償法理や損失補償法理の適用によっては救済が不可能あるいは著しく困難な場合が生じるようになった。このことから第一次世界大戦以降、国の行為による結果について、結果責任に基づく国家補償責任の法理が生じていた。日本国憲法四〇条が定める刑事補償の規定は、右法理の一部を戦後明文化したものにすぎない。

結果責任の法理は、刑事手続に限定されず、さまざまな場面における立法が行われており(国税徴収法一一二条等)、同法理の右のような理念に照らせば、戦争において特に大きな損害を受けた者に対しても適用されるべきである。

(5) 条理

条理とは、正義公平の理念であり、理性による道筋であるが、明治八年太政官布告第一〇三号裁判官事務心得三条には、「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニヨリ、習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スベシ」とあり、条理の法源性を規定しており、成文規範が存在しない場合には独立の法源として機能する。

被告国が行った徴用により発生した損害は、被告国が賠償ないし補償する責任を有するのは条理上当然である。

2  戦後原爆被害放置(立法不作為を除く。)についての損害賠償

(一) 日本国憲法一四条は平等原則を定めるところ、同条は、特段の事情がない限り、外国人にも適用がある。

また、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和五四年条約七号、以下「B規約」という。)二六条は「法律は、あらゆる差別を禁止し及び人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、出生、又は他の地位等のいかなる理由による差別に対しても平等かつ効果的な保護をすべての者に保障する。」として、これを具体化し、内外人平等を定めるが、条約は法律に優先する効力を有する。

(二) 被告国は、昭和三二年、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)を制定し、原爆放射能等に起因する疾病に対する医療給付及び右疾病以外の疾病に対する医療費の支給並びに健康診断等の措置がとられるようになった。

また、被告国は、昭和四三年、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆特別措置法」という。)を制定し、医療特別手当、健康管理手当、保健手当、介護手当等の諸手当を支給することにした(以下原爆医療法及び原爆特別措置法を「原爆二法」と総称する。)。

原爆二法は、被爆者が受けた被害が人類史上かつて体験したことのないものであり、通常の社会保障立法上の措置では十分に対処できないため被爆者に限定して制定されていること並びに被爆者が現在も心身の健康や経済生活全般にわたり苦痛を強いられていることに対する被告国の戦争責任及び原爆投下という国際法違反行為についてアメリカに対する損害賠償請求権を放棄した被告国の責任に基づいて立法されたものである。したがって、原爆二法は、被爆者に対する国家補償の立法である。

さらに、被告国は、平成六年一二月、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下「被爆者援護法」という。)を公布し、平成七年七月一日より施行した。

右被爆者援護法は、前文において「国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保険、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策」等を講じると定め、被告国の責任を明示していることから、国家補償立法であることは明らかである。

このような原爆二法及び被爆者援護法の趣旨からは、被爆者に対しては、平等に補償を行うことが日本国憲法一四条やB規約の要請である。

(三) しかしながら、被告国は、韓国に在住する被爆者に原爆二法を適用せず、何ら援護措置をとることなく韓国に在住する被爆者を放置し、原告ら在韓被爆者を差別してきた。

また、被告国は、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置法に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」(昭和四九年七月二二日衛発第四〇二号)において、「日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法の適用がないものと解される。」と各都道府県知事等に通達した。これにより原告ら一部の者は、原爆二法により医療費の支給や各種手当の支給を受ける権利を有していたにもかかわらず、右権利の行使を妨げられてきた。

そして、被告国は、被爆者援護法が制定された後も右の取扱いを変更していない。すなわち、被爆者援護法によって渡日治療のために来日した在韓被爆者に交付される被爆者健康手帳は、従前と同様に、右被爆者の出国により失効し、援護措置を打ち切る取扱いとなっている。

しかしながら、原爆二法及び被爆者援護法には、援護措置を受けるための「被爆者」の要件としては、「居住地」は挙げられていないのであるから、右のような取扱いは違法である。この点、被告国は、昭和四一年、当時アメリカ合衆国の施政権下にあり日本の主権が及んでいなかった沖縄在住の被爆者に対して、原爆医療法を「準用」し、また、昭和四四年一月、原爆特別措置法についても同様の措置を取っているのであり、被告国は原爆二法の国外適用を自ら認めていた。にもかかわらず、原告ら在韓被爆者に対して、原爆二法を適用しないことは合理的理由のない差別である。

また、原爆二法及び被爆者援護法と同様に国家補償の精神を有する戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく年金制度は無拠出制であるが、同法には、障害年金等を受ける「権利の裁定は、これらの援護を受けようとする者の請求に基づいて厚生大臣が行う」との規定(同法六条)があるのみで、国外から裁定請求を行うことができる旨の明示の規定が存在しないにもかかわらず、被告国は、右の規定により国外に在住する受給権者に対して裁定請求を行う道を開いている。しかし、一方で原爆二法や被爆者援護法については、国外からの明示の手続規定が存在しないことを理由に在外被爆者に対し援護措置を行うことを拒否している。このことは、合理的理由のない差別である。

したがって、被告国の右の各行為は、原爆二法及び被爆者援護法に違反する行為であるとともに、在外被爆者を差別するものであり、日本国憲法一四条及びB規約二六条に違反する違法行為であるから、被告国は、右各違法行為により原告らが受けた損害を賠償する義務がある。

3  立法不作為による国家賠償責任

(一) 立法義務の存在

原告らが被った人権侵害の程度は重大であり、また、広島・長崎における朝鮮人被爆者の総数は七万人に及び、全被爆者の一割以上を占めると推定されていること、右朝鮮人は被告国による強制連行または植民地化され生活の糧を奪われたためやむを得ず被告国にきていた者であることからは、被爆した朝鮮人にもあまねく補償が行われるべきであり、右被爆朝鮮人のうち生存した者の多くは、祖国朝鮮が日本の植民地支配から解放された後帰還し、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国に居住するようになったのであるから、右在韓・在朝被爆者に対しても平等に補償すべきである。

しかしながら、これまでに日本国内においてなされた被爆者対策によっては、原告ら在韓被爆者の人権回復はなされていない。したがって、被告国には、そのための立法をなすべき義務がある。

(二) 本件における立法義務の根拠

以下の日本国憲法の制定の経緯にかかる事情及び日本国憲法、国際人権規約の諸規定を総合すれば、これらの解釈上、個々の国会議員に対し、原告ら在韓被爆者に対する人権回復のための立法義務が課されていることは明らかである。

(1) 「議員ノ戦争責任ニ関スル決議」「戦争責任ニ関スル決議」の可決

日本国憲法は、明治維新以後の大日本帝国の侵略戦争の歴史を痛烈に反省する意図のもとに制定されている。このことは、被告国が、侵略戦争の犠牲者に反省の意を示し、侵略戦争によって生じた被害の回復を具体的に講じることを決意した「議員ノ戦争責任ニ関スル決議」「戦争責任ニ関スル決議」が昭和二〇年一二月に帝国議会衆議院において、賛成多数により可決され、このような決議を挙げた帝国議会において帝国憲法の改正、日本国憲法の制定、公布がされていることからも明らかである。

(2) 立法義務を基礎付ける日本国憲法の諸規定及びB規約

<1> 憲法前文

憲法前文は、非武装平和主義への転換をその各段落を通じて鮮明にしており、明治維新後、明治八年(一八七五年)の江華島事件、明治二七年(一八九四年)の日清戦争をはじめとする軍国主義国家であった大日本帝国の歴史を踏まえて、昭和二〇年(一九四五年)までのアジア侵略の歴史を反省する内容となっている。とりわけ、前文第三段は、大日本帝国がポツダム宣言受諾まで継続してきたアジアへの侵略戦争について、これを「自国のことのみに専念して他国を無視して」きたものであることを確認し、日本国が今後そのような行為を取らないことを確認しているが、その中には、かかる侵略戦争の犠牲者に対する補償をなすべきことをも確認する意味も含まれている。

そして、同四段は、前文を通じて示された、過去の侵略戦争の反省のために「全力をあげて」努力すべきことが求めている。そのような義務が立法府にも課せられている以上、国会が侵略戦争の犠牲者である在韓被爆者に補償立法を行なうことが最低限の必要条件となるのであり、憲法前文は当然に補償立法の制定を義務づけている。

<2> 憲法九条

憲法前文第二段で平和的生存権を全世界の国民を享有主体とする人権として承認しそれを踏まえて、九条で戦争を放棄し、戦力の不保持を規定する以上、戦争行為は不法であるとの先進的認識が表明されている。このことから、被告国が自ら引き起こした戦争により被害を被った人々に対して誠実に責任を取り、賠償をしていくことは、同条が当然に義務づけている。

<3> 憲法一三条

日本国憲法は、一三条において、個人の人格の尊厳に根本的価値をおき、それを守ることを立法府に義務づけている。

在韓被爆者が被爆後、日本国から何らの援護策を受けることなく放置されてきたことは、旧植民地出身者であるが故の差別であり、そのことは在韓被爆者の人格の尊厳を著しく傷つけるものである。したがって、被告国には、放置による日々新たな人格の尊厳の侵害を食い止め、原告ら在韓被爆者の人格の尊厳を回復するための立法を行うことが義務付けられている。

<4> 憲法一四条、B規約二六条

憲法一四条、B規約二六条に基づく平等原則からは、国籍の有無を問わず、被告国の引き起こした戦争によって被った被害に応じて、賠償ないし補償する立法が義務づけられている。

<5> 憲法一七条、二九条一項及び三項

国家権力により生命、身体または財産に対して侵害を受けた場合、その侵害が違法である場合はもちろん、適法であっても、特別の犠牲を強いられた場合には、国家はその損害を補填する義務がある。この精神からすれば、かつて侵略戦争で被害を受けた人に対し補償を行う立法をなすことが当然に要求されている。

<6> 憲法四〇条

刑事補償の趣旨からすれば、強制連行され、事実上の監獄状態の下で強制労働を強いられた人々に対して、補償立法をなすことが義務づけられるのは当然である。

(三) 国会の立法裁量

裁判所が国家賠償法一条一項の要件である「違法性」を立法行為について判断するにあたっては、立法行為が憲法の一義的な文言に違反している場合だけでなく、立法行為による人権又は法的保護に値する利益の侵害の程度が重大であって、かつ同侵害の回復が多数決原理の支配する立法過程によっては期待しがたいと認めた場合には、裁判所は、憲法上の諸原理に照らして、積極的に憲法に適合すべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価しなければならない。

原告らが立法不作為によって長年放置されてきた事実からは、もはやその被害の回復が多数決原理の支配する立法過程によっては期待し得ず、前記のように、国会議員には原告らの被害回復のために立法をなすことが義務づけられているのであるから、裁量的判断の余地はない。

被告国は、原告ら在韓被爆者を援護対象としないことには、十分な合理性が認められるとするが、本件は被告国が主体となって起こした侵略戦争の結果としての被爆に対する賠償が問題となっているのであり、「我が国の主権の及ぶ範囲に居住するか現在するか」で援護措置の対象を区別する理由はない。とりわけ原告らは被告国の植民地支配によって、被爆当時は日本国籍を有しており、サンフランシスコ講和条約の締結により一方的に日本国籍を剥奪されたにすぎないのであるから、原告らが援護措置の対象になるのは当然である。

(四) 国会が本件立法の必要性を認識した時期

昭和四七年一〇月、当時の大平外務大臣が外国人被爆者を救済する立法の必要性に言及し、同年末には政府として在韓被爆者の実情についての調査を行い、また、昭和四九年にも当時の二階堂官房長官が在韓被爆者の救済の必要性に言及している。さらに、昭和五四年一月、社会保障制度審議会が厚生大臣に対し、原爆二法の見直しを答申している。

このような事実経過に照らせば、被告国は、昭和四七年の大平外相の「特別立法」発言を受けて、同年一二月に在韓被爆者の調査に乗り出した時点で、国会議員は在韓被爆者の人権侵害の重大さと、援護立法の必要性を十分に認識し得た。そして、遅くとも孫振斗最高裁判決のあった昭和五三年三月三〇日には、国会に在韓被爆者を援護するための憲法上の立法義務が生じていたことを認識していたというべきである。

にもかかわらず、被告国の国会は立法作業に着手することもなく現在に至っている。他方、被告国は、その間、日本に在住する被爆者のみを対象とする原爆医療法(昭和三二年)、原爆特別措置法(昭和四三年)を制定した他、戦傷病者戦没者遺族等援護法を制定し(昭和二七年)、また軍人恩給法を復活させる(昭和二八年)など日本国民のみを対象とする立法措置を取り膨大な予算措置を講じてきていたことに照らせば、本件原告らを対象とする補償立法及び予算措置を講じることは可能であった。

したがって、既に立法作業のために必要な合理的期間が経過していることは明白であり、被告国の立法不作為は違憲・違法である。

二  原告らの被告三菱及び同菱重に対する主張(請求原因)

1  被告三菱及び同菱重に対する責任根拠

旧三菱は、原告らに対して、後述するような責任を有していたが、被告三菱は、旧三菱から本件強制連行・強制労働当時の旧三菱の財産・従業員等を承継しており、旧三菱と同様の責任を負う。また、被告菱重は、清算会社となっていた旧三菱を昭和三二年三月二五日に吸収合併しているから、旧三菱の責任を承継している。

このことから、被告三菱と同菱重は併存的に責任を負い、両者は連帯債務の関係に立つ。

2  国際法に基づく請求

旧三菱の広島機械製作所、広島造船所の両工場は軍管理工場であっただけでなく、昭和二〇年四月には、国務大臣の行政査察を受け、その結果、特攻兵器の生産を命じられるなど、日本軍の管理下にあった。

旧三菱はこのような被告国の各種の監督ないし規制を通じて強制連行・強制労働に極めて重要な程度に関わっていたといえ、旧三菱の行為は国家行為と同視でき、国際法を適用することが可能である。

したがって、旧三菱にも「強制労働ニ関スル条約」違反及び「人道に対する罪」違反が認められ、旧三菱の責任を承継した被告三菱及び同菱重も被告国が負うのと同様の責任を原告らに対して連帯して負っている。

3  不法行為に基づく請求

(一) 強制連行・強制労働

原告らの被害事実は、別紙三「原告らの主張」<略>に記載のとおりであるが、このように原告ら朝鮮人徴用工を朝鮮半島から広島まで連行して排他的・独占的支配下に置き、強制労働に付した行為は、逮捕、監禁、強要、暴行、傷害罪等の犯罪行為を構成する。

また、旧三菱は、原告らの起臥寝食の一切を支配し、原告らを使役して利得を得ていたのであるから、少なくとも、原告らの生命・身体の安全はもとより、原告らに対し使役の内容に適した衣類、食料を提供し、適当な宿舎・寝具を整えるなどして原告らが安全かつ適当な環境を享受できるように必要な措置を取らなければならなかったにもかかわらず、旧三菱は、原告らに適当な環境を整備せず、むしろ日常的に暴力を背景とした監視体制を敷き、飢餓状態を作り出し、これを利用して原告らの反抗を不能とする状態を作り出していた。

さらに、旧三菱は、原告らの労働現場や福利厚生の面で他の日本人労働者・徴用者と比較して差別待遇をしていた。

以上のような旧三菱の行為は民法七〇九条の不法行為を構成する。したがって、旧三菱は、被告国が負うとの同様の責任を連帯して負い、その責任を承継した被告三菱及び同菱重も原告らに対して同様の責任を連帯して負っている。

(二) 戦後における援護義務違反

旧三菱は、日本人従業員に対しては、救援・援護措置を行っていたにもかかわらず、原告ら朝鮮人徴用工に対してはしかるべき避難場所や食糧の提供などの措置を取ることなく、原告らを原爆で被災した状態のまま放置したほか、ほとんど何等の救援措置をとることもなかった。かえって旧三菱は、原告ら朝鮮人徴用工がそれまで収容されていた寮から立ち去るままに任せていたものである。

このように旧三菱は、原告らを他の日本人従業員と差別して、朝鮮半島から徴用してきた原告らを生存の危機に曝したのであり、民法七〇九条の不法行為責任を負う。したがって、旧三菱の責任を承継した被告三菱及び同菱重も原告らに対し、同様の責任を負う。

(三) 送還義務違反

旧三菱は、原告らを容易に往来できない朝鮮半島から広島市まで被告国と一体となって強制連行し、旧三菱の工場で強制労働させていたのであり、また原告らと旧三菱とは形式的には労働契約関係にあったのであるから、日本が敗戦した昭和二〇年八月以降、原告らを元の居住地へと送還する義務を被告国とともに負っていた。

原告らの元の居住地への帰郷について、被告国及び旧三菱がその責任を負担していたことは、国民徴用令の規定上も明らかである。すなわち、徴用解除は被告国の地方長官によって通達するものとし(同令一六条第一文)、徴用解除の際の帰郷旅費は、被徴用者を使用していた官衙所管大臣と厚生大臣とが協議の上金額を決定し、これを支給することとされていた(同令一九条第一文、同第四文)。

また、強制連行された朝鮮人徴用工に対して、被告国は、昭和二〇年九月一日、通達「朝鮮人集団移入労務者等ノ緊急措置ニ関スル件」<警保局発甲第三号>により、朝鮮人の集団輸送計画をたてた。これによると、「関釜連絡船は近く運航の予定であり、朝鮮人集団移入労務者は優先的に計画輸送する、釜山まで必ず事業主側より引率者を付し釜山で引き渡すこと」とされていたことも送還義務の根拠となる。

しかしながら、旧三菱は右送還義務を果たすことなく原告らを放置して送還義務の履行を解怠した。したがって、送還義務を果たさなかったことにつき、旧三菱は被告国が負うのと同様の不法行為責任を連帯して負っていたのであり、その責任を承継した被告三菱及び被告菱重も原告らに対し、同様の責任を負う。

4  安全配慮義務違反に基づく請求

旧三菱は、国民徴用令に基づいて原告らを強制連行した上、強制労働に付したもので、原告らと旧三菱との間には通常の労働契約関係は存しなかった。

しかしながら、労働の提供と受領という関係が通常の労働契約と同様に成立している場合は、事実上の労働関係が成立しているというべきであり、この場合には有効な労働契約が成立している場合と同様、使用者は労働契約の付随義務として安全配慮義務を負担する。旧三菱は強制連行した原告らを監視下に置き、直接原告らに強制労働を強いてきたのであり、事実上の労働関係にあった。したがって、原告らの生命及び健康等を危険から保護すべく配慮する義務を負っていた。

しかしながら、旧三菱は、原告らに対しては十分な食事すら与えず、また休暇も十分に与えず、空腹下での長時間の過酷な重労働を強い、また徴用令に基づいて厳しい罰則を課すことで、労働を強制した(国家総動員法三六条)。

このような旧三菱の行為は安全配慮義務に違反するものであるから、旧三菱は債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。したがって、その責任を承継した被告三菱及び同菱重も原告らに対し、債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

5  賃金未払い等

原告らは、別紙三「原告らの主張」<略>の第二に記載のとおり、旧三菱の広島工場で就労していたが、昭和二〇年七月分(同年六月二一日から同年七月二〇日まで)、同年八月分(同年七月二一日から同年八月二〇日まで)、同年九月分(同年八月二一日から同年八月三一日まで)の賃金についてはその支払がされていない(ただし、別紙三<略>の第二の原告番号三八ないし同四六については同年八月分及び同年九月分)。

また、旧三菱は、原告らに対し、給料の半分を韓国の家族の下に送金する旨の約束をしていたにもかかわらず、その送金義務を履行していない。したがって、旧三菱には送金約束分相当額についての支払義務がある。

さらに、旧三菱は原告らの毎月の給料から、「社内預金」と称して、国民貯金相当額を引き去り、積み立てていた。したがって、旧三菱は原告らに対する右国民貯金相当額の支払義務がある。

三  損害額

1  未払い金相当額(原告らの被告三菱及び被告菱重に対する主張)

(一) 各原告の未払い金相当額の概要・内訳は<略>のとおりであり、その算出根拠は次のとおりである。

<1> 賃金相当額

別紙三<略>の第二の原告番号一ないし同三七の原告については、次の各賃金相当額。

昭和二〇年七月分(六月二一日から七月二〇日まで)

同年八月分(七月二一日から八月二〇日まで)

同年九月分(八月二一日から八月三一日まで)

同じく原告番号三八ないし同四六の原告については、右の同年八月分及び同年九月分の各賃金相当額。

(賃金相当額の算定式)

賃金相当額=賃金(厚生年金法規定の平均賃金から寮費と食費の合計一三円及び被保険者負担の保険料を控除した金額)の二分の一×二・三三か月又は一・三三か月

<2> 送金約束相当額

賃金(厚生年金法規定の平均賃金から寮費と食費の合計一三円及び被保険者負担の保険料を控除した金額)の二分の一×稼働月数

<3> 国民貯金相当額

供託書で明らかになっている額ないし当時の価格で少なくとも五〇円。

(二) 原告らの未払金の支払にあたっては、物価水準の変動の経緯から、名目額を二〇〇倍するのが相当である。

(三) 各原告ごとの貨幣価値調整後の未払額

<略>のとおり。

2  慰藉料(原告らの被告らに対する主張)

各原告の肉体的、精神的被害は、既に五〇年以上にもわたって継続していることを考慮すると、少なくとも各原告一人当たり、一〇〇〇万円を下ることはない。

3  弁護士費用(原告らの被告らに対する主張)

各原告につき、各一〇〇万円が相当である。

四  被告国の主張(請求原因に対する反論)

1  強制連行・強制労働について

(一) 国際法上の責任

国際法は、国家と他の国家との関係を規律する法であるから、一般に個人は国際法上の法主体性を有しない。国際法は、国家が個人の利益を侵害した場合、当該個人は、その属する国の外交保護権を行使する方法によって間接的にその救済を図ることを予定している。

確かに、今世紀に入って、条約上、個人の権利義務に言及した規定が散見されるようになったが、そのような場合であっても、具体的に条約上個人の権利が規定されているだけでは不十分で、国際機関その他の特別の国際制度により、個人が母国の外交保護権を介することなく、直接自己の権利を主張する国際法上の手続が保障されている場合にのみ、個人が国際法上の権利主体として認められる。

しかるに、原告らの主張する国際法はいずれも個人を権利主体とすることを承認しているものではなく、しかも、右のような国際制度による救済機関でない我が国の国内裁判所へ国際法の適用を求めて出訴することを認める余地はない。

また、原告らが主張する国際慣習法が成立するためには、諸国家の行為の積み重ねを通じて一定の国際的慣行が成立していること(一般慣行)及びそれを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要であり、右の一般慣行が存在するというためには、諸国家による行為が反復され、不断かつ均一の慣行となっていることが必要である。しかし、原告らが主張する国際人道法に違反する行為をした国家が、右違反行為によって被害を受けた個人に対して直接損害賠償責任を履行するといった行為が反復され、不断かつ均一の国際的慣行となっている事実はなく、一般慣行が成立していないことは明らかであり、原告らが主張するような国際慣習法は成立していない。

(二) 国内法上の責任

(1) 不法行為に基づく損害賠償請求について

原告らの主張は、被告国のいかなる公務員のいかなる行為を不法行為というのかについて具体的な事実の主張がなく、そもそも主張自体失当である。

また、原告らは国民徴用令によって徴用されたのであるから、仮に強制的に労働させたことがあったとしても、それ自体の違法を問われる余地はない。

さらに、原告らが主張する被告国が行った行為は、国家の権力的作用というべきものであるから、国家無答責の原則により、国家の権力的作用について民法七〇九条が適用される余地はない。また、被告国の行為は、国家賠償法施行前のものであるが、同法附則六項が「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」としており、日本国憲法一七条により国家無答責の原則が否定されたとしても、国家の権力的作用について民法七〇九条が適用される余地がないことは変わらない。

(2) 損失補償の法理に基づく請求について

損失補償の規定は明治憲法には存在せず、どのような場合にどの程度の損失補償を認めるかは立法政策に委ねられていたのであり、損失補償の法理が認められていたとはいえない。そして、明治憲法下においてはそのような損失補償立法は存在しなかったのであるから、損失補償請求は認められない。

仮に、日本国憲法二九条三項と同様の損失補償の法理が明治憲法下に存在したとしても、同条項は、「財産権」についての補償の規定であり、生命もしくは身体の侵害又は人身の自由の拘束もしくは制限にかかる損害について補償することは予定していない。

(3) 安全配慮義務違反に基づく請求について

<1> 労務の管理支配性

安全配慮義務は、特定の法律関係の存在を前提として信義則上負担する義務であるから、社会生活上の具体的状況のもとにおいて特定人の安全を保護すべき一般的な義務(その違反は不法行為となるにすぎない。)とは異なるものであり、安全配慮義務が認められるためには、当事者間に、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったと評価される関係が存在することを要し、右の「特別な社会的接触の関係」が成立するためには次のような要件が必要である。

ア 安全配慮義務は、債務不履行を理由とする賠償責任であるから、契約関係もしくはこれに準ずる法律関係の介在すること。

イ 安全配慮義務は、公務遂行に当たって支配管理する物的及び物的環境から生じ得べき危険の防止について信義則上負担するものであるから、その成立が認められるためには、当事者間に事実上の使用関係、支配従属関係、指揮監督関係が成立しており、使用者の設置ないし提供する場所・施設・設備・器具等が用いられ、これらの物的側面ないし労務の性質が、労務者の生命・健康に危険を及ぼす可能性がある場合等当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められること。

原告らは、被告国が原告らを強制労働に従事させ、原告らが強制労働に従事した工場及び居住した寮周辺に警官や憲兵を配置し監視に当たったことをもって、事実上の労働関係が成立しているというべきであると主張するが、仮にその主張に係る事実があったとしても、それのみをもって、前記のような法律関係の存在、あるいは、直接具体的な労務の支配管理性の存在を基礎づけることはできない。

また、原告らは、国民徴用令上、被徴用者が国家との公法関係にあることをもって、被告国は、旧三菱と重畳的に安全配慮義務を負うと主張するが、公法関係といっても様々な態様があり、そのような関係にあるからといって、直ちに、右にいう「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」、あるいは当事者間における直接具体的な労務の支配管理性が存在することを基礎づけることはできない。国民徴用令の規定からすれば、被徴用者との間で、前記のような直接具体的に労務を支配するという法律関係に立つのは、事業主であって、被告国でないことは明らかである。

<2> 安全配慮義務違反における義務及び義務違反の特定

安全配慮義務違反による債務不履行の法的性質は、広い意味での不完全履行の一種と解されているところ、不完全履行においては、履行遅滞や履行不能と異なり、一応債務の履行はされたが、その内容に債務の本旨に従わない不完全さ(瑕疵)がある場合であり、瑕疵があるために履行の完全でないことが損害賠償債権の発生要件となるのであるから、債権者において、まず履行が不完全であった事実(履行過程に関連する付随的義務の存在)を主張・立証しなければならない。そして、安全配慮義務違反の成立が問題とされる法律関係は一様ではなく、事故の種類・態様も千差万別であるから、事故発生の具体的状況等を踏まえて、右義務の内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張・立証する必要があり、その主張・立証責任は、義務違反を主張する請求者側にある。

したがって、本件における安全配慮義務違反の主張に当たっては、まず生命、健康等を侵害されたとされる者ごとに、その結果が発生した具体的状況を明らかにした上で、発生した結果との関係から、義務者がそのような結果を予見できたか(予見可能性)、どのような措置を講じていれば結果の発生を回避できたか(結果の回避可能性)、そして、義務者と被害者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし、義務者に対し右結果の発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといった点を判断するに足りる具体的な事実を明らかにして、主張する必要がある。しかしながら、原告らの本件における主張は、一般的抽象的なものにとどまり、当時の社会情勢に照らして被告国がいかなる安全配慮義務を負っていたかを基礎づけるに足りる具体的事実の主張がなく、義務内容及び義務違反の特定に欠けるものであって、主張自体失当を免れない。

<3> 国民徴用令との関係

原告らは国民徴用令の適用により就労義務、労働義務を負うものであるが、法令に基づく行為は法令の趣旨を明らかに逸脱したなどの事情がない限り違法となることはなく、原告らは、国民徴用令との関係において同令の趣旨を明らかに逸脱したなどの事情を明確に主張しておらず失当である。

(4) 結果責任の法理に基づく請求について

結果責任の法理のような抽象的法理それ自体を根拠として具体的請求権は発生しない。

(5) 条理に基づく請求について

条理は、その内容の抽象性、多義性、相対性のため、裁判規範としての限界があって、法や解釈の基準となり、あるいは、これによって不完全な法が補充されることはあっても、条理それ自体を根拠として具体的請求権は発生しない。

2  戦後原爆被害の放置(立法不作為を除く。)について

(一) 原爆二法は、広島及び長崎における原爆被爆者の放射線による健康障害が特別なものであることに着目し、福祉国家の理念に基づき、他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡を生じさせないようにしながら、被爆の実態に即応した対策を講ずることを目的とした法律である。

最高裁判所昭和五三年三月三〇日第一小法廷判決(孫振斗判決)は、「被爆者は、従前から、被爆による健康上の障害につき、一般傷病者と同様の立場において健康保険法等の各種医療保険法あるいは生活保護法等による医療給付を受けることができたのであるが、被爆者の特別の健康状態にかんがみるとなお十分ではないので、更に救済を強化するために原爆医療法が制定されるに至ったものである。右のように原爆医療法は、被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって、その点からみると、いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものであるということができる。」と判示しているのであり、原爆医療法を単なる国家補償的立法と解していると捉えるのは一面的にすぎ、同判決が同法は基本的に社会保障法としての性格を有していると判示していることを看過するものである。

また、被爆者援護法は、原爆放射能という、ほかの戦争被害とは異なる特殊の被害に関し、その特殊性に照らして、高齢化の進行など被爆者の実情に即応した施策を講ずる必要があることから、事業実施の主体としての国の役割を明確にしたものであって、国の戦争責任を意味するものではない。

したがって、原爆二法及び被爆者援護法が、国家補償立法であるとする原告らの主張は失当である。

(二) 仮に、原爆二法及び被爆者援護法を国家補償立法であるとみても、そのことから当然に、我が国の領域内に居住も現在もしていない被爆者に対しても、平等に補償を行わなければならないとの結論になるわけではない。

例えば、国家補償立法の典型であるとされる国家賠償法においてすら、外国人が被害者である場合には相互の保証があるときに限って同法を適用すると定めている(同法六条)。また、昭和二七年から同四二年にかけて原爆二法と時期を前後して制定された戦傷病者戦没者遺族等援護法等の各種法律が、いずれも適用対象者を日本国籍を有する者に限定していることからしてもこの点は明らかである。原爆二法及び被爆者援護法の適用対象者がいかなる者であるかは、それぞれの法律の規定によるのであって、国家補償立法であるかどうかという法律の性格論のみから、対象者の範囲が決定されるわけでない。

また、前記最高裁判決は、「被爆者であってわが国内に現在するものである限りは、その現在する理由等のいかんを問うことなく、広く同法の適用を認めて救済をはかることが、同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するものというべきである。」と判示しているが、同判決がこのように原爆医療法の国家補償的性格をしん酌しながらも我が国に現在しない者に対して同法の適用の余地がないことを明らかにしていることもこの点を裏付けるものである。

原爆二法は、被爆者に対する健康診断及び医療の給付(原爆医療法)や、医療特別手当等の支給の措置を講ずる(原爆特別措置法)ことを予定しているが、いずれの法律にあっても、我が国の領域内に居住も現在もしていない被爆者に対する各種給付の方法を定めた規定、あるいは我が国の領域内に居住も現在もしていない被爆者が各種給付を受けるための手続を定めた規定は、全く設けられていない。例えば、原爆医療法に基づく給付は、健康診断と指導(四条ないし六条)、医療の給付(七条)及び一般疾病医療費の支給(一四条の二)よりなるが、これらの支給を受けるためには、被爆者が居住地又は現在地の都道府県知事(広島市又は長崎市については市長、以下同じ。)に申請して被爆者健康手帳の交付を受けることが前提要件となっている(二条及び三条)。また、医療の給付及び一般疾病医療費の支給についていえば、厚生大臣又は都道府県知事の指定した医療機関が健康保険の診療方針及び診療報酬の例によって行うもの(九条及び一四条の二)とされている。これらの規定からしても、同法上、我が国に居住も現在もしない者に対し何らかの支給等を行うことが予定されていないことは明らかである。また、原爆特別措置法においても、都道府県知事(広島市又は長崎市については市長、以下同じ。)は、原爆医療法八条一項の認定を受けた者であって、同項の認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し、医療特別手当を支給する(二条一項)、医療特別手当の支給を受けようとするときは、都道府県知事の認定を受けなければならない(二条二項)とあり、医療特別手当の支給対象者として、いずれかの都道府県知事の管轄の下にある者であることが前提要件とされていることが明らかであって、これは同法に基づき支給される他の手当等についても同様である。我が国に居住も現在もしていない者については、いずれの都道府県知事の管轄下にも属しておらず、これらの者に対する支給等に係る規定は、同法には何ら設けられていないのであって、同法が我が国の領域内に居住も現在もしていない者を支給対象としていないことは明らかである。このように、原爆二法は、我が国に居住又は現在する被爆者であれば、日本人であるかどうかにかかわらず一律平等に適用される(この意味において、同法には国籍条項が設けられなかった。)一方で、我が国に居住も現在もしていない者については、国籍を問わず同法の適用はない。

原告らは、アメリカ合衆国の施政権下にあった沖縄に対して、原爆二法を「準用」という形で適用したことに関する差別取扱いを主張するが、沖縄に在住する被爆者に対する救援については、まず、原爆医療に関する点は、昭和四〇年四月五日、日本政府と琉球政府との間で「琉球諸島住民に対する専門的診察及び治療に関する了解覚書」が取り交わされ(昭和四二年五月一九日、日本政府、琉球政府間において、これに代えて、「琉球在住原子爆弾被爆者の医療等に関する了解覚書」が取り交わされた。)、これに米国政府が承認を与えることによって実現したものである。その後昭和四一年一二月七日、琉球政府行政主席が、本土の原爆医療法に準拠して「原子爆弾被爆者の医療等に関する実施要綱(一九六六年告示第四一三号)」を発表し、同要綱に基づき被爆者健康手帳の交付、患者の治療等が実施されるようになった。また、特別手当等の支給については、昭和四四年一月一四日、右行政主席が告示した「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する実施要綱」に基づいて実施されたものである。

したがって、沖縄における被爆者援護対策は、右要綱に基づき沖縄地域に関する琉球政府の政策として同政府の負担と権限によって行われたものであり、琉球政府行政主席が発行した被爆者健康手帳は沖縄地域でのみ通用するもので、被爆者は本土において給付等を受けようとする場合は、改めて本土の被爆者健康手帳の交付を受ける必要があったのであり、我が国の原爆二法が「準用」されたものではない。

なお、沖縄がアメリカ合衆国の施政権下に置かれたのは、日本国との平和条約(昭和二七年条約第五号、以下「平和条約」という。)三条によるものであるが、平和条約二条では、朝鮮、台湾、千島、樺大、南洋諸島などに関して、日本はすべての「権利、権原及び請求権を放棄する。」と明確に規定されているところ、同条に沖縄は含まれておらず、沖縄について規定する同条約三条には、その旨の文言は一切含まれていないことから、日本国が沖縄に対して主権を放棄していないことは明文上明らかであるから、アメリカ合衆国の施政権下の沖縄に日本国の主権が及んでいなかったとの原告らの主張はそもそも誤りである。

また、原告らは、原爆二法と同じく無拠出制である戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく年金制度は国外居住者でも支給される点を挙げて、無拠出制であることは、当然に在外被爆者に対する原爆二法の適用を否定する根拠にはならないと主張するが、これは同法が国籍要件を定め(一四条一項二号、三一条一項二号、三八条二号)、属人主義を採用した結果であって、同法には国外居住者の裁定請求を制限する規定がなく、同法の要件を満たす者には一律に支給する立法政策を採用し、適用対象者が決定されただけにすぎない。したがって、立法趣旨及び法の規定内容が異なる原爆二法について、戦傷病者戦没者遺族等援護法を援用することは失当である。

(三) 原告らは、被爆者援護法の制定によって、原告らの権利に何らかの変化があったかのように主張するが、被爆者援護法においても、原爆二法と同様に、我が国に居住又は現在していない者に対する給付の方法や各種の手続に関する規定は全く設けられておらず、我が国の領域内のいずれかの都道府県に居住又は現在する者が、その都道府県知事に申請して被爆者健康手帳の交付を受けた上で、各種支給を受けることができるという制度が設けられているのであって(二条、七条、二四条及び二五条等)、我が国の領域内に居住も現在もしていない者に対して被爆者援護法を適用する余地がないことは、その法文上明らかであり、同法の成立により原爆二法についての取扱いを変更しなければならないという根拠は全くない。

(四) 原告らは、右のような取扱いが日本国憲法一四条、B規約二六条に違反すると主張するが、いずれの主張も理由がなく失当である。

(1) 日本国憲法一四条違反の主張について

同条は、絶対的な法の下の平等を保障したものではなく、合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存在する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら同条に違反しない。そして、立法府が制定した法律の条項が一方と他とを区別して取り扱うものであっても、それが立法府の政策的、技術的裁量に委ねられる事柄である以上、当該条項が同条に違反するかどうかの司法審査は、それが立法府の裁量を逸脱するものであるかどうかを基準として判断すべきものである。

原爆被爆による損害のような戦争損害ないし戦争犠牲に対する補償は、憲法の予想するところではなく、その補償の要否及び在り方は、高度の政策的判断を要する問題であり、立法府の裁量にゆだねられるものである。そうすると、原爆二法が我が国に居住も現在もしない者を援護の対象としなかったことが憲法一四条に違反するか否かは、このような取扱いを設けたことにつき、立法府の裁量を逸脱したか否かの観点から判断される。

原爆二法は、前述のように、基本的には社会保障法としての性格を有しており、その財源が主として租税収入からなり、租税は我が国の社会の構成員が負担するところであることからすれば、我が国に居住も現在もしない被爆者については、援護の対象としないこととしても、なお、合理性があり、立法府の裁量を逸脱したとする余地はなく、このような立法の内容が日本国憲法一四条に違反することはない。

(2) B規約二六条違反の主張について

B規約二六条は、日本国憲法一四条とその趣旨において異なるところはなく、またB規約に基づいて設置された規約人権委員会も認めるとおり、あらゆる区別をすべて禁止する趣旨ではなく、合理的な区別は許される。

原爆二法が我が国に居住も現在もしない被爆者に対し援護措置を採らなかったことには合理性があることは前記のとおりであるから、B規約二六条に違反するということはできない。

(3) したがって、原告らの主張は失当である。

3  立法不作為について

国会ないし国会議員の立法行為(立法不作為を含む。)は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというがごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の適用上、違法の評価を受けないことは確立した判例法理である。

判例がこのように解する論拠は、立法にかかわる憲法解釈については国民の間に多様な見解が存するのが通常であり、全国民を代表する立場にある国会議員としては、その多様な見解を立法過程に反映させるべく、自由に意見を表明し、表決を行うべき職責を負っており、特定の憲法解釈に立脚する立法がされ、又はされないことは、多種多様の意見の対立の中から多数決原理により決定されるべきものであり、国会議員が、多義的な解釈を入れる余地のある憲法の条項について、違憲立法審査権の行使の結果として、司法の立場からは違憲とされる解釈を採り、これに基づいて意見を表明し、表決に加わった(又は、意見を表明しないし、表決に加わらない)としても、議会制民主主義の原理からは、国会議員の右立法過程における行動は、当然に許容されているもので、原則として、国家賠償法上違法とされる余地はないとすることにある。

また、立法不作為の違法性については、憲法が採用している権力分立制との関係でより慎重な検討が必要である。すなわち、裁判所が国会議員の立法不作為に対する法的責任を問うことは、裁判所が個々の国会議員に対し、特定内容の法律を特定の時期までに立法すべき義務を措定し、その義務を課することにほかならないが、日本国憲法が採用する三権分立の基本理念からすれば、裁判所において、広範な立法裁量権を有する国権の最高機関である国会に対し、たやすく一定の立法義務を課し得るとすることはできない。

したがって、立法不作為において、それが国家賠償法上違法と評価される「例外的な場合」とは、憲法上具体的な法律を立法すべき作為義務がその内容、立法時期を含めて明文をもって定められているか、又は、憲法解釈上、右作為義務の存在が一義的に明白な場合でなければならない。

しかしながら、原告ら指摘の憲法条項等において、原告らに対する補償立法義務が内容も含めて憲法上明文をもって定められているとはいえず、また、憲法解釈上、そのような賠償立法を行うべき作為義務の存在が一義的に明白であるとはいえない。

また、原告らの被った損害は、戦争損害ないし戦争犠牲であるというべきところ、これら戦争損害ないし戦争犠牲に対する補償は、憲法の予想するところではなく、その補償の要否及び在り方は、立法府の裁量に委ねられており、この点は最高裁判例で繰り返し確認されている。したがって、原告らに対する補償立法について立法府の裁量的判断の余地がないとする原告らの主張は前提を欠く。

五  被告三菱及び被告菱重の主張(反論及び抗弁)

1  国際法上の責任について

一般に国際法上、個人の権利主体性は、具体的な条約によってそれが承認されている場合を除き、原則として認められない。

「強制労働条約」は、同条約を批准する国際労働機関の締盟国に対し、私の個人、会社又は団体のために強制労働を課し又は課すことを許可してはならないこと、強制労働の不法な強要を刑事犯罪として処罰すべきこと等を義務づけたものであり(四条一項、二五条)、その名宛人が同条約を批准する国際労働機関の締盟国であることは明らかであるから、同条約が私企業に対し直接損害賠償責任を負わせる趣旨ではない。

また、ニュールンベルグ憲章においては、「人道に対する罪」として、一定の構成要件を規定しているが、この構成要件に該当する行為があったときには、行為者個人の国際刑事責任が追及されるという効果を有するにすぎず、右行為者個人ないしはその行為者個人が所属する私企業に対して民事責任を負わせる趣旨ではない。

したがって、原告らの国際法上の規定を根拠とした請求は理由がない。

2  不法行為について

次に述べるとおり、旧三菱が原告らに対して不法行為責任を負うことはない。

(一) 強制連行への関与について

原告らを広島機械製作所の労務係等が広島まで原告ら朝鮮人徴用工を引率してきた事実は認めるが、原告らの徴用は、国家総動員法第四条及び国民徴用令に基づき被告国が行ったものであり、徴用には旧三菱は関与していない。すなわち、旧三菱は、国民徴用令に従い適法に申請をし、命令に応じて出頭した応徴者を広島の工場まで引率したにすぎない。

また、別段威迫その他の不法行為をして原告らを同行させたわけでもなく、韓国から広島までの間において、旧三菱の職員が原告らの逃亡防止のための監視に当たっていた事実や貨車により輸送したとか食事を与えなかったという事実もない。

(二) 原告らの処遇について

旧三菱の寮には、原告らの主張するような有刺鉄線や監視塔は存在せず、また、憲兵隊による監視もなく、届出をすれば、外出は自由であった。外出の際、小隊長が同行することもあったようであるが、それは日本語を理解しない朝鮮人徴用工の便宜を考えてのことであった。

寮での生活については、食事の点を含めて、朝鮮半島出身者と内地出身者との間に差別はなかった。かえって、食事については、唐辛子を苦心して入手し、朝鮮半島出身者の料理に加えるなどの配慮をしていた。

職場において、暴行を加えた事実はなく、勤務を怠った韓国人徴用工に対して、食券を与えないなどの制裁を科した事実もない。賃金、労働時間についても日本人徴用工と同様の扱いがされていた。

(三) 賃金について

原告らが主張する未払い賃金等の額(<略>に記載のもの)については争う。

原告らが主張するように、旧三菱が賃金の半額を韓国の家族に送金するという約束がされた事実はない。また、預金は任意であり、引き出しも随時可能であった。

(四) 被災後の処置について

旧三菱は、被災した朝鮮人徴用工の手当を三菱病院及び診療所で行っており、また、寮にとどまっていた者に対しては食事を提供するなどした上、賃金、預金に加えて慰労金、帰郷旅費を支給しているのであって、旧三菱が原告らを戦後放置したという事実はない。

朝鮮人徴用工の中には、自らの意思で広島を去った者が多く、そのような者を送還すること自体不可能である。

3  安全配慮義務違反について

安全配慮義務の概念は、最高裁昭和五〇年二月二五日判決によってはじめて判例上確立されたものであるが、この背景には、昭和二二年五月三日の日本国憲法の施行及びこれに伴う同年九月一日の労働基準法の施行、さらに昭和四七年一〇月の労働安全衛生法の施行があり、これらの歴史的背景なしに安全配慮義務が法的概念として確立することはなかった。

原告らが主張している事実は明治憲法下においてのもので、本件当時、原告らに対して安全配慮義務を負っていた者はいなかったのであり、同義務の内容を論ずる必要もない。

4  消滅時効、除斥期間

旧三菱が原告らに対して債務を負担していたとしても、次のとおり、消滅時効又は除斥期間の経過により消滅した。

(一) 不法行為に基づく損害賠償債務について

不法行為に基づく損害賠償請求権については、民法七二四条後段により、不法行為時から二〇年の除斥期間の経過により消滅するところ、右の履行期より本件訴訟提起まで二〇年以上が経過しているから、右除斥期間の経過により既に消滅している。

(二) 安全配慮義務違反に基づく債務について

原告らが主張するように、仮に安全配慮義務が問題になるとしても、その義務違反に基づく損害賠償請求権の時効期間は損害の発生したときないしは遅くとも原告らが旧三菱を退去した昭和二〇年九月三〇日から進行している。

したがって、右損害賠償請求権は民法一六七条一項により昭和二〇年一〇月一日から一〇年の経過により時効消滅している。

(三) 未払い賃金等の債務について

原告らは遅くとも昭和二〇年九月三〇日までには旧会社を退去しており、原告らが主張する未払い賃金等の支払請求権は、遅くとも昭和二〇年一〇月一日には履行期にあり、賃金債権の時効期間は一年である(民法一七四条一号)ところ、右の履行期より本件訴訟提起まで一年以上が経過しているから、消滅時効が完成している。被告三菱及び被告菱重は、右消滅時効を援用する。

また、原告らは、この時効の援用が信義則違反・権利濫用であると主張する。しかし、時効の援用が信義則に違反し、あるいは権利濫用として許されないといいうるためには、債権者が債務者の積極的な行動・態度を信頼して時効中断などの措置をとらなかったところ、債務者が時効期間徒過後に態度を変えて時効を援用したとか、債権者が時効を中断するためにとろうとした行動を債務者が妨害したなど債権者が時効中断の措置をとらなかったことが債務者の行動に起因するものと評価され、ひいては債務者の時効援用が社会的相当性の見地から許容された限界を逸脱したと認められる場合であることが必要である。しかし、本件ではそのような特別の事情はない。

5  会社経理応急措置法及び企業再建整備法の適用(被告三菱の主張、別会社論)について

旧三菱は、会社経理応急措置法一条一項一号本文の特別経理会社に該当したところ、同法七条及び一一条により、特別経理会社が有する財産は、指定時である昭和二一年八月一一日午前零時をもって、新旧勘定に振り分けられ、新勘定には指定時における積極財産のうち、「会社の目的たる現に行っている事業の継続及び戦後産業の回復復興に必要なもの」だけが所属するものとされ、指定時以前の原因に基づいて生じた特別経理会社に対する債権を「旧債権」と表現していること(同法一二条)から、指定時以前の原因に基づいて生じた債務はすべて旧勘定に所属するものと考えられる。

そして、会社経理応急措置法の目的は、戦時補償の打切りが企業に及ぼす悪影響を最小限のものにとどめ、民需生産の継続に支障がないようにするとともに、戦時補償の打切りに伴う損失を合理的に処理する前段階としてこれに必要な措置を講ずることにあったことを考えると、仮に、原告ら主張のように旧三菱が原告らに対し不法行為に基づく損害賠償債務や未払賃金等の債務を負っていたとしても、それらの債務は指定時以前の原因に基づいて生じた債務であるから、すべて旧勘定に属することになったといえる。

また、企業再建整備法による第二会社が設立された場合には、同法一〇条、同法施行令三条により、第二会社は、「指定時後特別経理会社の新勘定の負担となった債務」だけを承継するものとされており、特別経理会社の旧勘定に属することになった債務については、これを第二会社が特別に承継しない限り、当然に承継することはない。

すなわち、企業再建整備法の目的は、戦時補償の打切り等によって企業が直接間接に被る影響を合理的かつ円滑に処理し、経済界の混乱を防止するとともに、その機会に過去の損失を処理し、企業の急速な再建整備を促進することにあるから、その法の目的に従って設立された第二会社三社は従来の特別経理会社とは別個独立の会社であり、同法一〇条の規定は、特別経理会社が新勘定に属する資産の全部又は一部の出資を受けて設立されたものであることから指定時後特別経理会社の新勘定の負担を承継することを特に法定したにすぎず、特別経理会社の一切の権利義務を当然包括的に承継する趣旨ではない。そして、他に第二会社三社が特別経理会社の一切の権利義務を当然包括的に承継する旨を定めた法律上の規定はない。また、第二会社三社は、企業再建整備法五条に基づいて立案され、認可申請された旧会社に関する整備計画の中で、旧会社の旧勘定に属した債務を承継しないとしている上、第二会社三社の設立及び旧会社の解散に当たっては、これらの会社の連名で第二会社三社は旧三菱の旧勘定に所属した債権債務を承継しない旨記載した文書を取引先に宛てて発送している。

以上のことから、第二会社三社が合併して設立された会社である被告三菱は、旧三菱の旧勘定に属した債務を承継していない。

したがって、原告らが主張している各請求権が存在したとしても、被告三菱が承継するものではなく、原告らの請求は失当である。

6  弁済供託

被告国は、厚生次官の「朝鮮人、台湾人及び中国人労務者の給与等に関する件」と題する通達(昭和二一年六月二一日厚生省発労第三六号)、司法省民事局長の「朝鮮人労務者等に対する未払金等に関する件」と題する通達(昭和二一年八月二七日民事甲第五一六号)、厚生省労政局長の「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」と題する通達(昭和二一年一〇月一二日労発第五七二号)及び労働省労働基準局長の「朝鮮人労務者等に対する未払金について」と題する通達(昭和二二年一二月一日基発第四一八号)により、企業に対し未払い賃金その他の供託をするよう通達した。旧三菱は、これらを受けて昭和二三年九月七日、原告らに対する未払い賃金等を当時の廣島司法事務局(現広島法務局)に供託した(以下「本件供託」という。)。したがって、原告らが、昭和二〇年当時その主張する賃金債権を有していたとしても、それらは右弁済供託により消滅した。

7  財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律による請求権の消滅

日韓両国の間において、昭和四〇年(一九六五年)六月二二日に財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和四〇年一二月一八日条約第二七号、以下「日韓請求権協定」という。)が締結され(同年一二月一八日発効)、同協定三条の規定により、二条二項に掲げる例外(a一方の締約国の国民で昭和二二年(一九四七年)八月一五日から協定署名の日までの間に他方の締約国に居住したことのあるものの財産、権利及び利益、b一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって、昭和二〇年(一九四五年)八月一五日以後の通常の接触の過程において取得され、又は他方の締約国の管轄下に入ったもの)を除いて、「一方の締約国及びその国民の財産であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない」とされた。その後、日韓請求権協定を受けて、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和四〇年法律第一四四号、以下「財産権措置法」という。)が制定され、その一項本文及び一号によって、大韓民国又はその国民(法人を含む。)の日本国又はその国民(法人を含む。)に対する債権であって、日韓請求権協定二条三項に定める財産、権利及び利益に該当するものは、昭和四〇年六月二二日をもって消滅するものとされた。

したがって、仮に、原告らが主張する各請求権がかつて存在していたとしても、それらの請求権は、昭和二二年(一九四七年)八月一五日以前に発生した大韓民国国民の日本の法人に対する債権であり、日韓請求権協定二条三項に定める権利に該当するから、財産権措置法一条一項により昭和四〇年六月二二日に消滅している。

原告らは、このような処理は、日本国憲法二九条三項に違反すると主張する。しかし、右の措置は日韓両国の国交回復上の障害を除くために行われたのであり、大韓民国としてもその措置を承認しているのであるから、憲法上の補償問題が生じる余地はない。そもそもこのような処理は、朝鮮の日本からの分離独立に際してとられた解決手段であって、憲法が予定していないものであった。

六  被告三菱及び被告菱重の主張に対する原告らの反論

1  消滅時効・除斥期間に対する反論

(一) 未払い賃金等の債務及び安全配慮義務違反に基づく損害賠償債務について

(1) 被告菱重に対する反論

消滅時効の制度は権利行使が可能であったのにこれを解怠した者を保護しない趣旨であって、権利者に不可能まで強いるものではない。そして、旧三菱が被告菱重に継承されたことは、部外者であり、かつ国外に居住していた原告らには知る手段もなかった。原告らが被告菱重の存在を知ることができたのは、平成九年一二月二日に言い渡された長崎地方裁判所の判決において被告菱重が旧三菱を承継したことが判示されていたためである。したがって、被告菱重との関係では、その契約責任について、消滅時効の起算点は右判決のとき(平成九年一二月二日)となる。被告菱重に対する提訴は、右判決から一年以内にされているから、時効期間は経過していない。

(2) 信義則・権利濫用

仮に、被告三菱及び被告菱重が本件において消滅時効の援用をすることが可能だとしても、右援用は次の事情により、信義則違反あるいは権利濫用として許されない。

第二次世界大戦後、昭和二六年(一九五一年)九月、サンフランシスコ平和条約が調印された(昭和二七年(一九五二年)四月二八日発効)が、日韓両国間における問題は、二国間の協議によるとされた。原告らは、その協議の結果、原告らを含む韓国の戦争被害者に対して、日本政府から賠償がなされるものと期待していた。ところが、日本政府は韓国側の賠償請求に正面から応じず、日本政府が、韓国側に対して、「独立祝賀金」あるいは「経済協力金」名目で三億ドルの無償供与及び二億ドルの長期低利貸付をする内容の日韓請求権協定を締結した。原告らは、その請求権協定によって、賠償問題が完全かつ最終的に解決済みと思いこまされてしまった。

しかし、原告らは、賠償問題を放置することができず、昭和四二年(一九六七年)に「韓国原爆被害者援護協会」を設立し、昭和四九年(一九七四年)八月、被告三菱との交渉を始めたが、被告三菱からは具体的な解決策が何ら示されないまま、月日が過ぎ去ってしまった。その間、被告三菱は、ことあるごとに賠償問題の解決について原告らに期待を持たせてきたのである。この事実に、原告らが韓国在住の韓国人被爆者であることを考慮すると、被告三菱及び被告菱重が消滅時効を援用することは信義則違反、権利濫用として許されないというべきである。

(二) 不法行為に基づく損害賠償債務について

(1) 民法七二四条後段の期間の性質は、長期の消滅時効と理解すべきであり、その期間の適用に当たっては、当事者の援用が必要というべきであるが、本件においては、被告三菱らの契約上の責任について述べたのと同様の理由で、被告三菱及び被告菱重が右時効を援用することは信義則違反あるいは権利濫用であって許されない。

(2) 仮に、右の期間の性格が除斥期間であるとしても、同様の理由から信義則違反、権利濫用を理由とした適用制限が認められるべきである。この点、最高裁平成一〇年六月一二日第二小法廷判決も民法七二四条後段の「規定を字義どおりに解すれば、……著しく正義・公平の理念に反する」として、同条後段の効果を制限することが条理にかなうことがある場合を認めているが、正義・公平の理念は一般規定たる信義則あるいは権利濫用の規定に具体化されているというべきであるから、同判決は除斥期間に信義則あるいは権利濫用の法理の適用を認めたものといえる。

2  別会社論について

(一) 旧三菱と被告三菱の実体的同一性

(1) 昭和二五年に設立された第二会社三社は、その設立目的自体が旧三菱の営業を継続する目的でされており、その有機的一体となる営業用財産はそのまま移転させられている。そこにおいては、資産・事業・内容のみならず、従業員の地位も承継され、第二会社三社の各代表取締役には旧三菱の取締役が就任し、経営陣に至るまで同一という状態であった。

(2) 第二会社三社は、「三井、三菱、住友」の三大財閥の称号と商標使用を禁止するGHQの政策に基づく政令によって、「三菱」の名称こそ使用していなかったが、サンフランシスコ条約の発効によって右政令が廃止されると、昭和二七年六月には、東日本重工業は三菱日本重工業、中日本重工業は新三菱重工業、西日本重工業は三菱造船と名称を変えて「三菱」の名を使用し、同時にスリーダイヤモンドの商標を使用するようになった。そして、翌昭和二八年には、戦前の「三菱協議会」の機能を復活させて、三菱系企業の最高連絡会議である「金曜会」も定期的に開催されるようになった。

このようにして三菱グループは再合同を進め、昭和三九年六月一日、新三菱重工業がもとの「三菱重工業株式会社」に商号変更を行い、同月三〇日に他二社と合併して、被告三菱となったのである。したがって、被告三菱は、企業再建整備法上の第二会社三社にいったん分割されたものの、これが再合同して、もとの事業を継続し、有機的一体性をもってその人的・物的資産を承継している。

(二) 会社経理応急措置法及び企業再建整備法の扱い

(1) 未払い賃金債権について

会社経理応急措置法一四条一項但書は、旧債権消滅行為の禁止に例外を定め、同条項二ないし四号、六号で、「指定時以前に確定した給料」、「従業員の預り金」、「指定時以前に確定した退職金その他命令で定める臨時的給与債権」などを弁済し、また、弁済を受領することが認められ、同条二項で、「特別経理会社は、前項各号に掲げる債権については、これを旧債権から弁済することができない場合に限り、特別管理人の承認を受けて、第九条(未整理受取・支払勘定の計上)の規定によって設けた新勘定の貸借対照表の負債の部の未整理支払に計上した金額の限度において、これを新勘定から弁済することができる。」とし、未払い賃金等を新勘定から支払うことを認めている。

また、企業再建整備法七条一項二号では、特別損失を負担すべき債権者から、会社経理応急措置法一四条一項の旧債権のうち命令で定めたものを除くとされ、同二号を受けた命令である企業再建整備法施行令二条で、右措置法一四条一項但書に規定された優先弁済の認められる旧債権は除かれるとなっている。また、企業再建整備法では、旧会社の従業員が第二会社設立後に退職する場合に、旧会社の在職期間を通算して退職金を支払うことを前提として、その支払を確保するために、旧会社において積み立てられていた退職給与引当金に相当する資産を第二会社に譲渡しなければならないとするなど(同法三四条の四)、労働債権については旧会社と第二会社との実体的同一性を認めざるを得ないことを反映して非常に弾力的なものとなっている。

さらに、旧勘定と新勘定は、第二会社の設立登記時に併合される(企業再建整備法三六条)が、このとき、旧勘定所属債務を被担保債権とする新勘定所属資産上の先取特権、質権、抵当権が、右新旧勘定併合時に再度設定されたものとみなされる(会社経理応急措置法一二条)。原告らの未払賃金は先取特権の被担保債権であるから、新勘定をすべて承継した第二会社は、少なくとも先取特権の負担付きの資産を承継していることになる。

よって、旧三菱の原告らに対する未払い金は、企業再建整備法一九条により、旧債権として消滅することはなく、同法三六条に基づき新旧勘定の併合が行われた昭和三〇年一月一一日に、当然に第二会社三社に承継されている。

(2) 不法行為債権について

原告らが請求する不法行為に基づく慰謝料請求権については、新旧いずれの勘定に区分されるべきかは、会社経理応急措置法及び企業再建整備法に明文規定が存せず、その所属は明らかではない。しかし、会社経理応急措置法及び企業再建整備法は、企業に対する戦時補償特別税の課徴に伴う損失を適正に処理し、企業の速やかな再建整備を行い、もって産業の健全な回復及び復興を図ることを目的した、極めて政策的、技術的な立法であるから、企業の再建・復興という目的の範囲内においてのみ企業の損失の処理が認められるのであり、その目的を離れて不法行為に基づく請求権まで免責しようとするものではない。

したがって、原告らの慰藉料請求権は第二会社三社に承継されている。

(3) 在外負債に対する特別の保護

原告らが請求している損害賠償債権は、企業再建整備法施行令二条一号の「特別経理会社に対する債権であって外国を履行地とするもの」に該当するため、この請求権が会社経理応急措置法一四条一項の旧債権に該当するとしても、同法施行令二条柱書きにより「知れたる特別損失負担債権」から除外される。そして、同法施行令六条では、「知れたる特別損失負担債権」でない債権は、企業再建整備法一九条一項の旧債権消滅の規定にかかわらず、消滅しないとされている。また、解散会社にこれが存する場合は、主務大臣の認可を受けて、在外負債引当額に相当する金銭の特殊管財人への引渡し・管理の委託を実行したときに、仮勘定を閉鎖することができるとされている(企業再建整備法二六条の二第一項二号ロ、二六条の六第一項二号、同法施行令二条)。これは、企業再建整備法施行当時に、極めて厳しい対外賠償政策が予定されていたことから、在外負債については消滅を認めず、かえって、請求があった場合に備えて、特別引当金の別途計上・別途管理を行って、その資金準備をしたものである。

したがって、原告らの請求権は第二会社三社に承継されている。

(三) 信義則違反

企業再建整備法下における第二会社の設立の実態は、実質的には企業の経営主体の変更ないし組織変更もしくはこれと同視しうるような営業の全部又は一部譲渡ということができる。このような企業の経営主体の変更ないし組織変更、営業譲渡がされた場合、新旧会社は経済社会的にみて継続性を有しており、雇用契約の関係においては、実質的に前後同一の会社であると見ざるを得ず、労働関係は包括的に新会社に承継されるというべきである。

また、第二会社の設立時においては、会社経理応急措置法、企業再建整備法制定当時とは、大きく社会情勢を異にし、財閥解体方針は既に緩和され、分割されて設立された第二会社は将来的に再合同することが予定されていたのである。そのような状況下で発足した第二会社は、実質的に旧会社と同一の会社として存続していくことが既に見込まれていた。

このようなことからすれば、被告三菱が形式上別人格であることを理由として原告らの請求を拒絶することは信義則上許されない。

3  弁済供託に対する反論

(一) 未払い賃金を供託する場合は、本来、当該賃金の未払い期間の始期と終期の明示が不可欠であるにもかかわらず、原告らが閲覧することのできた供託書副本にはいずれもこの期間が明示されていない。しかし、これでは、未払い賃金の金額(供託金額)を確定的に計算することができず、供託の要件を充たしていない。

(二) 原告らの本籍地は、「○○道○○郡○○面○○里○○番地」と表記されるが、被告三菱らが弁済供託したと主張している供託書の被供託者の本籍地には京畿道平澤郡までしか記載されていない。

(三) よって、有効な供託がされたとは評価できず、供託は無効である。

4  財産権措置法による請求権の消滅に対する反論

(一) 財産権措置法の及ぶ範囲

国家が、国外在住の外国人の権利を消滅させ、あるいは新たに義務を設定するような法規を制定することは、統治権の及ぶ範囲を越えており、法の拘束力は及ばない。財産権措置法は、大韓民国及び大韓民国国民の日本国又は日本国民に対する財産権を消滅させ、日本国又は日本国民が大韓民国及び大韓民国国民の財産を保管していた場合に、その財産を保管者に帰属させることを内容としているから、同法が大韓民国及び原告ら大韓民国国民に対して拘束力を持たないことは明らかである。

(二) 日韓請求権協定二条について

財産権措置法は、日韓請求権協定二条三項を根拠として制定されたものであるが、同協定は、日本国と大韓民国との国家間の取り決めである。およそ個人の同意なく国家間の取り決めによって個人の請求権を消滅させることを認める法的根拠はないから、同協定二条三項は、実体的に特定の個人の権利を消滅させる効力をもたず、日韓両国の国民が自国の国民に対する外交保護権を行使しないという意味をもつにとどまる。したがって、同協定によっても両国国民の個人の請求権は依然として消滅していない。

そして、同協定を受けて、大韓民国国内においては原告らの被告らに対する請求権を消滅させる立法措置は何ら講じられておらず、また、原告らが被告らに対して、その請求権を免除するなどしたことはない。したがって、原告らの被告らに対する請求権は消滅していない。

(三) 日本国憲法二九条三項違反

財産権措置法は、昭和四〇年一二月一七日に制定されながら、権利の消滅について、同年六月二二日に遡るとされている(同法附則)が、それに対しては何ら補償措置が取られていない。しかし、仮に同法が、正当な補償のないまま一方的に大韓民国国民の請求権を消滅することを定めたものであるとすれば、同法は財産権の補償を定めた日本国憲法二九条三項に違反し、無効である。

第七当裁判所の判断

一  被告国に対する請求

1  強制連行による損害賠償請求について

(一) 本件の背景の概略

<証拠略>によれば次のとおり認めることができる。

明治四三年(一九一〇年)八月二二日、日本国と朝鮮国(当時の国号は大韓帝国)とは日韓併合条約を結び、朝鮮半島は日本国の統治下に入り、朝鮮半島の統治は日本国が置いた朝鮮総督府が担当することになった。

昭和一二年(一九三七年)の蘆溝橋事件を契機として日中戦争が始まり、昭和一六年(一九四一年)に太平洋戦争が勃発すると、当時の日本国は、戦時下における労働力不足を補うため、朝鮮半島居住者を日本国内地に転入させることとし、昭和一四年ころから諸種の施策が実施された。また、昭和一九年(一九四四年)八月八日には「半島人労務者ノ移入ニ関スル件」が閣議決定され、国民徴用令を朝鮮半島居住者にも一般的に適用して新規徴用を実施することになった。

(二) 原告らの徴用と被爆

(1) <証拠略>によれば、次のとおり認めることができる。

<1> 原告朴昌煥は、昭和一九年(一九四四年)九月、二一歳の時に家族とともに生活していた京畿道平澤郡浦升面で国民徴用令の執行を受け、釜山を経て広島に移送され、当時、広島市南観音町にあった旧三菱広島機械製作所(広島機械製作所)の鋳鉄工場での作業に従事した。原告らの就業場所は、右広島機械製作所のほか、当時の広島市江波町所在の旧三菱広島造船所であった。原告らが生活していた寮は両工場からさほど離れていない場所にあった。

徴用の具体的手続きは当時の朝鮮総督府、郡、面等の職員がこれを行い、旧三菱の職員は当時の京城府まで出向いて移送列車に同乗し、これに沿線の各駅で徴用工が乗車するというもので、釜山から広島までは旧三菱の職員が徴用工移送の実質的責任を負っていた。

<2> 原告朴昌煥の就労時間は午前八時から午後六時までであり、その間に昼食のための休憩時間があった。休日は月に二回が原則であったが、残業や休日就労をしなければならないこともあった。原告ら徴用工が病気になった時にはその旨を口頭で申告し、工場に勤労動員されていた学生生徒が病院に連れていっていた。また、休日には右学生らが原告ら徴用工を引率して市内見学をさせることもあったが、食糧を買い求めるために休日を使用する者もあった。

食事の内容、量は全体として不十分なものであり、食事内容の貧しさを契機として朝鮮人徴用工が騒ぎを起こしたこともあった。原告らの多くは、工場からの帰りに市内の雑炊屋で雑炊を食べたり、寮に来る物売りから食糧を買い受けて空腹を満たしていた。

原告朴昌煥は、手取り給与は月額約二〇円であったと記憶しており、同額が家族の許に送金されていると考えていた。同原告は、昭和二〇年六月までの給与は受領したけれども、七月分以降のそれは受け取っていない。原告らが工場で残業すると残業手当が支給されていた。

旧三菱の寮は三棟あり、西寮及び北寮には朝鮮半島からの徴用工が入り、東寮では日本人徴用工と広島で徴用された朝鮮人徴用工とが生活していたが、各寮を囲む塀の上には有刺鉄線が敷設されていた。

<3> 昭和二〇年八月六日、原告朴昌煥は就労中に被爆して負傷したが工場にとどまって救護活動等に従事した後、八月一三日ころに罹災証明書の交付を受けて山口県徳山市を経て同県下関市に向かい、昭和二〇年(一九四五年)九月、数名の徴用工とともに私的に仕立てた船で帰国した。

2  <証拠略>によれば、徴用令の執行状況、旧三菱広島機械製作所及び広島造船所における就労内容、食事等の待遇及び被爆後から帰国までの経緯については、各原告ごとに若干の相違があるけれども、以下に述べる点を除いては大筋において原告朴昌煥について認定したところと同様であると認めることができる。

工場における労働時間とその内容については、多くの者は、残業が多かったり夜勤があって重労働であったが、それほどではない者もいた。

各原告が記憶している手取り給与額は、月額約一〇円から約四〇円まで様々であり、その間には相当額の開きがあるし、賃金を受領したことがないと述べている原告も一人いる。徴用工の賃金算定方法は、日給月給であって、出勤日数が少ないとその分減収となっていた。

原告らの中には賃金の一部を何回か家族に送金した者もいる。

旧三菱における会計処理としては、原告らに対しては額面月額六〇円から一〇〇円程度が支給されたことになっている。

原告らの多くは、賃金の半額が家族に送金され、かつ、賃金中から天引預金がされていると思っていたが、徴用担当者、旧三菱従業員のいずれからもそのようなことを聞いていない原告も一人いる。

(三) 帰国後の原告らの被爆症状

<証拠略>によれば、次のとおり認めることができる。

(1) 原告らは、被爆した後種々の方法を利用して帰国したのであるが、その後、全身倦怠感、胸部圧迫感、皮膚掻痒感等のさまざまな症状に悩まされるようになり、年月が経過し加齢が進むととともに身体症状は悪化してきている。

(2) 昭和二三年(一九四八年)に独立した大韓民国においては戦後長期間被爆者の体系的実態調査は行われてこなかったところ、平成二年(一九九〇年)七月、韓国保健社会部は同国保健社会研究院に対して原爆被害者の実態調査を依頼し、同院は平成三年(一九九一年)八月にその結果を公表しているが、それによると、韓国内居住の被爆者の実態は次のとおりである。

<1> 生存している被爆者数は、平成三年(一九九一年)五月末現在の調査結果では二〇八五名、同年八月末現在のそれでは二三〇七名である。ただし、同調査報告は、被爆者の実数はこの数字よりも多いと推認している。

<2> 被爆者の健康状態について、当事者の自覚症状を中心にした調査では、一般人と比較した不健康認識率、慢性病罹患者と比較した活動制限程度については、各年齢区分とも被爆者が相当に高い結果となっている。

以上のとおりである。

(四) 補償問題に関する国際的取極

(1) サン・フランシスコ平和条約

昭和二六年(一九五一年)にサン・フランシスコ市において署名され、昭和二七年(一九五二年)四月二八日に効力を発生した「日本国との平和条約(昭和二七年条約第五号)」第四条において、朝鮮半島住民の日本国及び法人を含むその国民に対する請求権の処理は、日本国と現に朝鮮半島の施政を行っている当局との間の特別取極の主題とすることとされた。

(2) 日韓基本条約

その後、日本国は大韓民国との間で、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(昭和四〇年条約第二五号)」を締結し、同条約は昭和四〇年(一九六五年)一二月一八日に効力を生じた。

(3) 「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」

さらに、昭和四〇年(一九六五年)、日本国と大韓民国との間で「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年条約第二七号、以下「日韓請求権協定」という。)が締結された(同年六月二二日署名)が、その第一条では「日本国は大韓民国に対して、一〇八〇億円に相当する日本の生産物及び日本人の役務を一〇年間にわたり無償で供与する、日本国は大韓民国に対して、七二〇億円の長期低利貸付けを一〇年間にわたって行う」ことが定められ、第二条においては次のとおり規定された。

「1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、一九五一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条aに規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2  省略

3  2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であってこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対するすべての請求権であって同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。」

以上のとおり定められた。

この請求権協定は、在韓被爆者問題についてはなんら触れていない。

右の請求権協定に基づき我が国では「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(昭和四〇年法律第一四四号)を制定したが、その1では次のとおり定められた。

「次に掲げる大韓民国又はその国民(法人を含む。以下同じ。)の財産権であって、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条3の財産、権利及び利益に該当するものは、次項の規定の適用があるものを除き、昭和四〇年六月二二日において消滅したものとする。ただし、同日において第三者の権利(同条3の財産、権利及び利益に該当するものを除く。)の目的となっていたものは、その権利の行使に必要な限りにおいて消滅しないものとする。

一  日本国又はその国民に対する債権

二  省略」

以上のとおりである。

(五) 日本における被爆者援護

日本においては、昭和三二年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(以下「原爆医療法」という。)が被爆者の健康診断と医療を行うことにより、その健康の保持向上をはかることを目的として制定され、また、昭和四三年には「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(以下「原爆特別措置法」といい、右の二法律を「原爆二法」という。)が被爆者に対して医療特別手当ての支給等を行うことにより、その福祉を図ることを目的として制定され、更に、平成六年一二月には「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(以下「被爆者援護法」という。)が制定され、平成七年七月一日から施行されたが、この法律は、原爆二法の精神を受け継ぎその援護内容を充実させたものであった。なお、原爆二法及びこれを引き継いだ被爆者援護法にいう被爆者の定義については原爆医療法制定時から現在に至るまでには変遷があったけれども、広島機械製作所があった広島市南観音町及び広島造船所があった広島市江波町で原爆被害に遭った者が被爆者として取り扱われてきたことには変わりがない。

(六) 在韓被爆者に対する援護内容

<証拠略>によれば、次のとおり認めることができる。

(1)  韓国においては被爆者に対する格別の援助は行われてこなかったところ、昭和四二年(一九六七年)に在韓被爆者らによって社団法人韓国原爆被害者援護協会(後に韓国原爆被害者協会と改称した。以下「協会」という。)が、また、昭和四九年(一九七四年)には協会の下部組織として韓国原爆被害三菱徴用者同志会が設立され、日本国や被告三菱に対して被爆補償や未払い賃金請求を行ってきたが、同年八月には協会の役員が来日し、被告三菱と未払い賃金の支払い等を求めて交渉したことがあった。

(2)  昭和五四年(一九七九年)、日韓両国の政権政党間で、在韓被爆者の医療援護に関し、<1>韓国医師を日本に派遣して研修させる、<2>日本医師を韓国に派遣する、<3>在韓被爆者の渡日治療を行う、以上の三項目が合意され、その後、昭和六一年(一九八六年)一一月までの間、長崎と広島の病院において渡日治療が行われた。

昭和六二年(一九八七年)からは韓国政府による被爆者援護策が実施されたが、その内容は医療費の九〇%を国庫が負担するというものであった。

平成元年(一九八九年)からは韓国で国民皆保険制度が実施されたところ、この制度の自己負担分は三〇%であるが、被爆者については自己負担分を政府と協会が肩代わりすることにより無料での治療が可能となった。

日本国は平成元年度と平成二年度の予算で在韓被爆者援護資金として各金四二〇〇万円を計上して大韓赤十字社に支出したが、その運用は協会に任され、被爆者の治療費として使用されることになった。

平成二年(一九九〇年)、日本国は在韓被爆者の医療援助のために四〇億円を支出することを決め、大韓赤十字社に対して、平成三年(一九九一年)一一月にうち金一七億円が、平成五年(一九九三年)二月に残金二三億円がそれぞれ交付された。

(七) 国際法に基づく請求について

原告らは、国際法規範に違反した国家の行為によって被害を受けた私人は、当該国の司法機関に対して損害賠償等を請求することができると主張する。

(1)  国際法における法主体性に関する原則

国際法は、その規範形式が条約(条約、合意等の名称は問わない。)、国際慣習法のいずれであっても、その法主体は各国家であり、ある国家が他の国家に対して権利を有し、義務を負担するといった国家間の関係を規律するものであるから、国家間において効力を有する法に反する行為を一方の国家が行い、それによって他方の国家を構成する国民が何らかの被害を被った場合であっても、被害を受けた各個人が国際法違反行為を行った国家を相手方として直接具体的な請求をすることはできない。被害を受けた個人は、所属する国家の相手方国家に対する権利あるいは請求権(外交的保護権)の行使を通じて、間接的に被害の回復を期待することができるにとどまるのが原則である。

(2)  国際法上、個人に法主体性が認められる例外的場合

右に述べたとおり、国際法上は個人に法主体性が認められることはないのが原則である。しかし、国家の国際法秩序違反行為に対して各国家を構成する個人に法主体性が認められる場合がないではない。それは、条約等の法規範自体において当該法規違反行為によって権利を侵害された各個人が国家を相手方として被害の回復を求めることができる旨及びそのための手続規定を明示している場合である。このような場合にはその条約等の効果として、その効果が及ぶ国家を構成する各個人は、その効力を承認した各国家を相手方として、自己が所属する国家を介することなく直接に自己が侵害されたと主張する権利の回復を求めることができることになる。

(3)  本件への当てはめ

しかしながら、原告らが本訴において援用する「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」(明治四五年条約第四号)、強制労働ニ関スル条約(昭和七年一一月二一日批准登録)等の条約その他の国家間合意には右に述べた例外的規定が明定されているものは存在しない。したがって、原則どおり、本訴原告ら各個人は、国際法違反を根拠として、直接、被告国を相手方として損害賠償請求をすることはできないことになる。

(4)  国際慣習法に基づく請求について

国際慣習法とは、国際社会の構成員の間で行われる実行行為が反復継続されることにより形成される国際法規範であり、これを肯定するためには、第一に、ある事実に対する主要な国家を含む多数の国家の対応が確立していること(一般慣行)、第二に、諸国家がこれを法的義務として認識していること(法的確信)が肯定されることが必要である。そして、国際慣習法を根拠として個人が国家を相手方としてその被った被害の回復を求める場合には、当該個人が主張する相手方国家の行為が国際慣習法上違法とされることのみでは足りず、そのような権利行使方法が国際慣習法によって是認されていることも必要である。しかしながら、原告らが本訴において主張しているような事実関係につき、権利を侵害されたと主張する各個人に対して国家が直接的に賠償責任を負担するといった事実が反復され、それが諸国家の共通の法的認識にまで高められているとは未だ認めることができない。すなわち、各個人が国家を相手方として被侵害利益の回復を求めることができるとの国際慣習法の成立は、原告ら提出の全証拠をもってしてもこれを認めることができない。

(5)  以上のとおりであるから、原告らの国際法に基づく請求は理由がない。

(八) 不法行為に基づく損害賠償請求権について

(1)  原告らの主張にかかる徴用は、公権力による制裁を背景とする国家総動員法(四条、三六条一号)及び国民徴用令等の法律・命令に基づいて行われた国の行為であるから、それは国家の権力的作用として行われたものである。

(2)  国家賠償法(昭和二二年一〇月二七日公布・施行)の施行前においては、国の機関が国民に対して違法と評価されるべき行為を行った場合であっても、国が当該国民に対して損害賠償責任を負うとの法令上の根拠はなく、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)下においては、国の公法上の行為のうち権力的作用による個人の損害については私法が適用されず、国は責任を負わないという国家無答責の法理が妥当するとされていた。すなわち、国の権力的作用によって個人に損害が発生したとしても、民法の適用はなく、一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかったことから、その損害について国の賠償責任を認めることはできなかったのである。この結論は大審院が一貫して判示していたところであり(大審院昭和八年四月二八日判決・民集一二巻一一号一〇二五頁、大審院昭和一三年一二月二三日判決・民集一七巻二四号二六八九頁、大審院昭和一六年二月二七日判決・民集二〇巻二号一一八頁)、戦後の最高裁判例も同旨であって(最高裁昭和二五年四月一一日第三小法廷判決・集民三号二二五頁)、当裁判所も同様に理解するものである。

右のような法制については、確かに、原告らが指摘するような批判があったところであり、現に戦後は、日本国憲法一七条により、国家無答責の原則を改め、国又は公共団体の損害賠償責任の根拠を明らかにし、この規定に基づいて国家賠償法が制定され、これによって明治憲法下においては損害賠償が認められなかった権力的作用についての救済が初めて図られることになった。しかしながら、明治憲法下においては、行政裁判所においても、「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法一六条)、国家の賠償責任を肯定すべき根拠法令がなかったのであるから、国家賠償法附則六項の「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」との経過規定に照らせば、現時点における解釈としても、昭和一九年から昭和二〇年に至る時期である本件各行為当時においては、民法七〇九条等の規定によって、国がその権力的作用による損害について私人に対して損害賠償責任を負担するとの解釈を採用することはできないものというほかはない。

原告らは、国家が権力的作用に基づいて国民に損害を与えた場合でも、国家は責任を負わないとの明治憲法下において認められていた法理には実定法上の根拠はなく、当時の司法裁判所が民法の解釈としてそのように判断していたものにすぎないこと、したがって、憲法一七条が国家無答責の法理を否定した現在においては右のような民法解釈をすることは許されず、明治憲法下で行われた国家による権力的作用についても民法七〇九条、七一五条が適用されるとの趣旨の主張をしている。

しかし、民法が対等の立場にある当事者間における利害関係調節のための法であり、優越的地位に基づく権力作用の行使が肯定されている国家とこれを受ける国民との関係を整理し、明らかにするための法でないことは、その性質から明らかである。したがって、憲法一七条によって国家の責任が肯定された現在においても、現行憲法施行前に行われた国家の権力的作用については、民法を適用する余地はないものというべきである。すなわち、現行憲法施行の後、仮に同法一七条にいう法律が制定されなかったとしても、国家の違法な権力的作用によって損害を被った国民は、憲法一七条自体を根拠として損害賠償請求することは格別、民法七〇九条に基づいて被害の回復を求めることはできないと考えられる。仮に、この場合において憲法一七条自体を根拠とする賠償請求をすることができないとするときには、明治憲法下における国家無答責の法理が明示的に斥けられたことを理由として、特別に公権力の行使についても民法の不法行為法を適用することが考えられる。しかし、このような場面について公権力の行使に民法の適用を肯定する最大の理由は、憲法一七条の存在なのであるから、右の解釈が妥当するのは憲法が成立施行された後の事案に限られるものと解するべきであり、憲法施行前の事実が問題となっている本件においては右のような解釈を採用する余地はないと考えられる。

よって、民法七〇九条に基づく原告らの請求は理由がない。

(九) 損失補償の法理に基づく請求について

原告らは、明治憲法二七条一項に定める損失補償の法理の適用ないし類推適用により、原告らが被った強制連行・強制労働という特別の犠牲につき被告国に対して損失補償請求権を有すると主張している。そこで、以下においてはこの点について検討する。

(1)  明治憲法二七条は「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ犯サルルコトナシ、公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」と定めるのみで、公益のために国民の財産権を制限する場合には補償を要する旨の日本国憲法二九条三項のような規定は存在しなかった。したがって、明治憲法の文理解釈による限り、国民がその財産権を制限されたとしても、これを補償すべき法律の定めがない以上、明治憲法二七条自体を根拠として国民が国を相手方として損失補償請求をすることはできないといわざるを得ない。

(2)  仮に右の点を措くとしても、本件については次の点が問題となる。

まず第一に、原告らは国民徴用令に基づく徴用を受けて広島で労働を行ったものであるから、被告国の原告らに対する行為は権力的作用であるというべきところ、明治憲法下においては、このような作用については国は国民に対して損害賠償責任を負わないとされていたのであるから、原告らの主張はこの点においても採用し難いものである。

第二に、国民が国家の公益を目的とする適法行為により損害を被った場合には、これを請求できる旨の法律の規定が存在しなくても、明治憲法二七条を根拠として、国民が国家に対してその被った損害を請求できるとしても、そのような場合は、明治憲法が予定している形態の損害に限られるものというべきである。

原告らが本訴において主張している特別の損害とは、先の大戦において国民徴用令の適用を受けて朝鮮半島から広島に移送され、そこで労働に従事させられたというものであるから、戦争被害の一種であるということができる。ところで、先の大戦においては、当時、日本国籍を有していた者のほとんどすべてが様々な被害を被っており、その程度が深刻な事例も少なくはない。先の大戦中、特に原告らが徴用を受けた戦争末期(昭和一九年)は国の存亡にかかわる非常事態であり、日本国籍を有する者の多くが自身や近親者の生命、身体、財産を危機に晒し、あるいは自身や近親者の生命を失い、財産を喪失したもので、このような事態における国民の損失補償を明治憲法が予想していたと解することはできない。このような場合における国民に対する補償の要否及び在り方については、ことがらの性質上、一義的に決定することができるものではなく、国家財政、社会経済、国民が被った被害の内容・程度等に基づく立法府の裁量的判断に委ねられるものと解される(以上の点につき、最高裁平成九年三月一三日第一小法廷判決・民集五一巻三号一二三三頁)。右の最高裁判決は現行憲法二九条の解釈に関するものであるが、明治憲法二七条についても同様に妥当するものである。

よって、原告ら損失補償の法理を理由とする請求も採用できない。

(一〇) 安全配慮義務違反に基づく請求について

(1)  この点に関する原告らの主張は必ずしも明らかではないが、旧三菱で労働させるについて休日も自由には外出させず、十分な食事や休暇を与えることなく長時間の重労働を強いたことを安全配慮義務違反と主張しているものと理解して論を進めることとする。

(2)  安全配慮義務とは、一定の法律関係を基礎として特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、右の法律関係における付随義務として当事者間の一方が他方に対して負担する信義則上の義務をいう。そして、右義務の違反行為は、不完全履行の一種であると解され、したがって、一応の履行はされたけれどもその内容に瑕疵がある場合であり、そのことが損害賠償債権の発生要件となるのであるから、安全配慮義務違反を理由として損害賠償請求をする債権者は、債務者の負担する義務内容を特定するとともに違反行為の内容を具体的に主張立証しなければならないというべきである(最高裁昭和五六年二月一六日第二小法廷判決・民集三五巻一号五六頁)。

原告らは、被告国においては原告らの生命・身体の安全はもとより、原告らに対して労働の内容に適した衣類、食糧、宿舎を整えるなどして原告らが安全に生活できるような措置をとるべき安全配慮義務を負担していたとし、義務内容の特定及び違反事実の主張としてはこれで十分であると主張する。

しかし、安全配慮義務が発生する社会関係には種々様々なものがあり、当事者が置かれる状況を一律に論じることはできず、本件に即していうならば、自由な外出ができなかった、十分な食事や休暇が与えられなかった、長時間かつ重労働を強いられたというのはどの程度のことをいうのか、それは当時の社会情勢を基準として違法と評価されるべきものであったのか、被告らにはそれが違法であることを認識予見し、これを回避する手段はあったのかといった点について、原告らはより具体的に主張立証しなければならないものというべきである。

以上の観点から本訴における原告らの主張立証を検討するときは、未だ不十分であるといわざるを得ず、したがって、原告らの被告国に対する安全配慮義務違反(債務不履行)に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく採用できない。

(一一) 結果責任の法理に基づく損害賠償請求について

原告らは、被告国の行為によって損害が発生した場合は、被告国に故意・過失がなくとも、被告国は、結果責任の法理に基づき、その損害を賠償する責任を負うと主張する。

しかしながら、結果責任の法理はそれ自体抽象的なものであり、それ故その外延が不明確であって、行為規範及び裁判規範としての役割を果たすことは困難であり、原告らに対する徴用が実施された昭和一九年はもとより、現在においても、右のような法概念を肯定し、これに基づいて個人に具体的請求権が発生することを認めることはできない。

よって、原告らの前記主張を採用することはできない。

(一二) 条理に基づく請求について

条理は、一般的にはその法源性を肯定できるとしても、その内容が抽象的であり、その意味するところが一義的に明らかではないため、裁判規範としては不十分かつ不完全なものであることは否定できず、裁判規範としての条理を肯定することには慎重でなければならない。

ところで、先の大戦における戦争犠牲・被害についての補償については各対象者に対して各種の補償がされているけれども、その際には特別の立法がされ、そこで定められた基準に従って補償の実行がされているのであり、立法されることなく補償がされた事例はない。これは、右のような補償については、その補償要件、内容、程度等に関し政治的、社会的、財政的な諸事情を総合的に勘案した上で決定されるべき事項であるからである。これらの事項を条理といった抽象的規範で定めることは困難であり、かつ、恣意的判断に陥る危険があり、相当ではない。更には、我が国を含めた世界各国に、戦争被害を受けた個人が国に対してその被害回復を求め得るとの共通認識が形成されており、この事実が立法の不存在を補完してそれに基づく賠償請求を肯定することができるまでに条理として高められているとは、未だ認めることができない。

よって、条理を理由とする原告らの主張は採用できない。

2 戦後原爆被害放置(立法不作為以外の点)についての損害賠償請求について

(一) 原爆二法等不適用の違法について

(1)  原告らは、原爆二法等は被爆者に対する国家補償立法であるから、右各法律は被爆者であるとの要件を満たす限りすべての人に対して適用されるべきであるのに、被告国が右各法律を原告らに適用してそこに定められた各種給付を行わなかったこと(被告国の法令不適用行為)は右各法律に違反する旨主張する。

そこで検討すると、まず第一に、国民の税によって賄われる国の給付を外国居住の外国人が権利として請求することができるといった法制度は、通常では考え難いのであるから、当該法律がそのようなものであるとするためには、明確な根拠を必要とすると考えられるところ、原爆二法等にはいずれも右に述べた意味での明確な根拠規定は存在していない。

次に、原告ら主張のとおり、原爆二法等が被爆者に対する国家補償立法であるとしても、そのことから当然に右法の適用対象者が決定されるわけではなく、当該法令の適用対象者が誰であるかは、それぞれの法律の規定によるのであって、法律の性格論から演繹的に導かれるわけではない。また、法治主義を採用している日本国憲法の下では、いかなる場合にいかなる処分をするかは法律によって定められているのであって、行政庁はその法律を誠実に執行する義務がある(日本国憲法七三条一号等)から、行政庁が当該法令の適用に際し、その法令の規定を離れて、あるいはその法律が行政庁に委ねた裁量権の範囲を逸脱濫用して当該法令を適用することは許されない。

したがって、本件において、被告国が原爆二法等を原告らに適用しなかったことが国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法と評価されるのは、<1>当該法令が一義的にその適用対象者を定めているにもかかわらず、その適用対象予定者に対して当該法令の規定を適用しない場合、あるいは、<2>当該法令の規定が多義的で、その適用に際し行政庁による解釈の余地がある場合に、その解釈適用が当該法令の目的、各規定との相互関係、当該法令の制定された経緯等に照らし著しく不当であり、行政庁の裁量権を逸脱又は濫用していることが明らかである場合であると解するのが相当である。

(2)  法は、それを制定した国家の主権が及ぶ人的・場所的範囲において効力を有するのが原則であると考えられるところ、原爆二法等には、その適用を受けるべき者に関する要件について国籍条項は設けられていないけれども、日本国内に現在せず、かつ居住もしていない者をもその適用対象とする旨の規定は存在しないこと、日本国内に居住も現在もしていない被爆者に対する各種給付の方法を定めた規定、あるいは日本国内に居住も現在もしていない被爆者が各種給付を受けるための手続を定めた規定は全く設けられていないのであるから、原爆二法等は、被爆者であっても、外国に居住している者についてはその適用を予定していないと認めるのが相当であり、したがって、被告国がその解釈適用に当たり、原告ら在韓被爆者に対し、右法律を適用しなかったとしても、それは法解釈の仕方とすれば自然なことであり、違法ということはできない。

これに関連して、原告らは、アメリカ合衆国の施政権下にあった沖縄に対して、原爆二法を「準用」という形で適用したことに関する差別取扱いについて主張するが、<証拠略>によれば、沖縄に在住する被爆者に対する援護については次のような経緯が認められる。

まず、原爆医療については、昭和四〇年(一九六五年)四月五日、日本政府と琉球政府との間で「琉球諸島住民に対する専門的診察及び治療に関する了解覚書」が取り交わされ、昭和四二年(一九六七年)五月一九日、日本政府、琉球政府間において、これに代えて、「琉球在住原子爆弾被爆者の医療等に関する了解覚書」が取り交わされ上、これに米国政府が承認を与えることによって実現した。その後昭和四一年(一九六六年)一二月七日、琉球政府行政主席が、本土の原爆医療法に準拠して「原子爆弾被爆者の医療等に関する実施要綱(一九六六年告示第四一三号)」を発表し、同要綱に基づき被爆者健康手帳の交付、患者の治療等が実施されるようになった。

特別手当等の支給については、昭和四四年(一九六九年)一月一四日、右行政主席が告示した「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する実施要綱」に基づき実施された。

このような事実経過に照らせば、沖縄における被爆者援護対策は、右要綱に基づき沖縄地域に関する琉球政府の政策として同政府の権限によって行われたというべきであり、アメリカ合衆国施政権下の沖縄に対して被告国が原爆二法を適用したことを根拠にした原告らの違法性の主張は前提を欠くものであって採用できない。

(二) 原爆二法等の合憲性等について

原告らは、仮に手続規定が欠けるために原告ら在韓被爆者が法律の適用対象者から外れるのであれば、そのような取扱いは日本国憲法一四条、B規約二六条に違反すると主張する。右主張の趣旨は、右のような手続規定を欠く場合は、原爆二法等が日本国憲法一四条、B規約二六条に違反するというものと解せられるので、以下この点について検討する。

日本国憲法一四条一項は、法の下の平等を定めているが、同規定は、合理的理由のない差別を禁止する趣旨のものであって、各人に存在する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、何ら右規定に違反するものではない(最高裁昭和三九年五月二七日大法廷判決・民集一八巻四号六七六頁、平成七年七月五日大法廷判決・民集四九巻七号一七八九頁)。

また、原爆被爆による損害のような戦争損害ないし戦争犠牲に対する補償は、憲法の予想するところではなく、その補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、外交、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたる高度の政策的判断を待ってはじめて決し得るものであって、憲法一四条一項に基づいて一義的に決することは不可能であり、立法府の裁量に委ねられているというべきである(最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決・民集二二巻一二号二八〇八頁、最高裁平成九年三月一三日第一小法廷判決・民集五一巻三号一二三三頁)。

ところで、前述のとおり、昭和二七年(一九五二年)四月二八日に効力が発生したサン・フランシスコ平和条約において、朝鮮半島住民の日本国及び法人を含むその国民に対する請求権の処理は、日本国と現に朝鮮半島の施政を行っている当局との間の特別取極の主題とすることとされたが、その後、この特別取極として、昭和四〇年(一九六五年)に日韓請求権協定が締結され、その第二条で、一方の締約国及びその国民の他方の締約国及びその国民に対する請求権であって昭和四〇年六月二二日以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができない旨定められた。

以上のとおり、在韓被爆者問題については、日本国と朝鮮半島の施政を行っている当局との間の外交交渉による解決が予定されたが、この外交交渉の結果として成立した特別取極においては、原告らがその構成員である大韓民国政府において、在韓被爆者の日本国に対する請求権に関する外交保護権を放棄していたのであり、かつ、日本国外に居住する者に対して、原爆二法等に定める各種援護請求権を肯定した場合に予測される立法技術上ないし運用上の困難を考慮するならば、原爆二法等が在韓被爆者をその適用対象から除外していることには合理的理由があり、前述の立法府の裁量の範囲内に属する事項であると考えられる。

よって、原爆二法等が憲法一四条に違反するとの原告らの主張は採用することができない。

次に、B規約二六条について検討すると、同条は憲法一四条とその趣旨において異なるところはなく、憲法一四条と同様に、あらゆる差別をすべて禁止する趣旨とは解されず、各人に存在する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り、右規定に違反しないというべきである。そして、原爆二法等が我が国に居住も現在もしない被爆者に対し援護措置を執らなかったことが不合理とはいえないことは前記のとおりであるから、原爆二法等がB規約二六条に違反するということはできない。

よって、原告らの主張は採用できない。

3 立法不作為を理由とする国家賠償請求について

(一) 原告らは、在韓被爆者が被った被害について被告国が補償立法を行わないことは違法であると主張して、国家賠償法に基づく損害賠償請求をしているので検討する。

(二) 立法不作為と国家賠償法一条一項の違法

国会議員は、立法行為(立法不作為を含む。以下同じ。)に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであって、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁)。この点に加えて、原告らが本件において問題としているような立法不作為の場合、すなわち、現在まである特定内容の立法が行われたことがない場合に、国会又は国会議員がその特定内容の立法を行うべきであるのに、これを行わないことが違法であると主張しているような事案において、裁判所が国会又は国会議員の立法不作為に対する法的責任を問うことは、裁判所が国会又は個々の国会議員に対し、特定内容の法律を特定の時期までに立法するように義務づけることに他ならず、このような結果は、日本国憲法四一条が「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」としている趣旨に抵触するのみならず、日本国憲法が採用している権力分立制との関係でも問題が生じるといわなければならないから、本件のような立法不作為の違法性の判断にはより慎重な検討が必要となる。具体的には、<1>立法府において、一定内容の立法を行うべきことが、憲法の文言上一義的に定まっているか、あるいは憲法解釈上争いがなく、そのような内容の立法をしないことが憲法に反することが一見して明白であるため、立法内容について裁量の余地がないほど立法義務が明確であることに加え、<2>国会が立法義務を実現することに格別の支障が存しなかったにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置していること、の要件を満たした場合にはじめて国会議員の立法不作為が国家賠償法一条一項の規定の適用上違法と評価されるというべきである。

(三) 本件についての具体的検討

そこで、以上の見地に立って本件につき検討すると、原告らが問題としている立法不作為は、在韓被爆者に対して在日被爆者と同等の補償を行うことを内容とする法律を制定しないことであるが、右のような内容の立法を行うことが、憲法の文言上一義的に定まっているか、あるいは憲法解釈上争いがなく、そのような内容の立法をしないことが憲法に反することが一見して明白であると考えられる規定は日本国憲法には存在しない。

この点、原告らは、日本国憲法前文、九条、一三条、一四条、一七条、二九条一項及び三項、四〇条並びにB規約二六条の規定の解釈上、当然に右のような内容の補償立法をする義務が国会にあると主張する。

しかし、右のような補償立法は、社会・経済・財政事情の他、我が国の国民感情、補償措置を講じた場合の諸々の社会的影響、日韓関係を含む外交上の問題等に配慮した上で行われるべきもので、多分に政治的配慮を必要とするだけでなく、補償対象者の範囲、補償事由、補償額及び補償措置を講ずるための手続について立法技術上あるいは運用上困難な問題を有しているのであって、原告ら主張の規定のみを根拠として、一定内容の補償立法をする義務が国会又は国会議員に課されていると考えるのは困難である。

したがって、原告らの主張は採用できない。

4 以上のとおりであり、原告らの被告国に対する請求はいずれもその根拠を欠くものであって採用することはできない。

二  被告三菱及び被告菱重に対する請求について

1  国際法に基づく請求について

原告らは、旧三菱も原告らの強制連行及び強制労働に加わっていたとし、したがって、旧三菱も被告国と同様に国際法違反の責任を負担すると主張する。

しかし、原告らの被告国に対する国際法違反を理由とする請求が採用できないことは先に述べたとおりであり、同様の理由で旧三菱(被告三菱及び被告菱重)に対する国際法違反を理由とする損害賠償請求は理由がないことになる。

2  不法行為を理由とする損害賠償請求について

(一) 原告らは、被告会社らに対して、原告らに逮捕、監禁、強要、暴行、傷害等の不法行為を行ったと主張して民法七〇九条に基づく損害賠償請求をし、被告会社らは、不法行為該当事実の存在を争うとともに、消滅時効の完成・援用あるいは除斥期間の経過による権利の消滅を主張し、原告らはこれに対して、時効を援用し除斥期間の主張をすることは信義則に反し、あるいは権利濫用であって許されないと述べている。

したがって、論理的判断順序としては、原告ら各人について被告会社らが原告ら各自に対して行った行為態様を認定した上で、当該行為が不法行為と評価されるべきものであるかどうかを判断し、これが肯定された場合に被告会社らの主張について認定判断するのが通常である。しかしながら、本件において原告らによって不法行為であると主張されている事実は、第二次世界大戦末期の昭和一九年から敗戦ころまでの混乱期に生じた事実である上、事実が発生してから五〇年以上の期間が経過しているといった特別の事情が存するので、ここでは、被告会社らの主張からまず検討することにする。

(二) 除斥期間の経過による請求権の消滅について

本件では、原告らは、昭和二〇年八月六日、原爆が投下された後の同年九月頃までに原告らが帰国したことにより旧三菱の実質的支配からそれぞれ離脱したと認められるから、原告らの主張する旧三菱の原告らに対する加害行為は、右の時点をもって終了し、遅くともその時点から民法七二四条後段の期間の進行が開始したものというべきである。

したがって、通常であれば昭和四〇年九月頃には右期間が満了し、原告らの請求権は消滅していることになる。

これに対し、原告らは、民法七二四条後段の規定は除斥期間を定めたものではなく、長期の消滅時効を定めたものであり、その適用には当事者の援用が必要であるところ、本件において、被告三菱及び被告菱重が消滅時効の援用をすることは信義則に違反しあるいは権利濫用であって許されないと主張する。

しかしながら、民法七二四条後段の規定は、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから、同条後段規定の期間経過の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は、主張自体失当であると解すべきである(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九頁)。

また、原告らは民法七二四条後段の期間が、仮に除斥期間であるとしても、信義則違反・権利濫用を理由とする適用制限が認められるべきであると主張する。

確かに、民法七二四条後段の規定を字義どおりに解釈適用すれば、正義・公平の理念に反する場合があることは最高裁平成一〇年六月一二日第二小法廷判決(民集五二巻四号一〇八七頁)も認めるところであり、当裁判所もこれを否定するものではない。しかしながら、民法七二四条がその前段で三年の短期の消滅時効の規定に加えて、その後段で二〇年の除斥期間を定めたのは、被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって不法行為をめぐる法律関係を速やかに確定させるために請求権の存続期間を画一的に扱うとの趣旨であるから、同条後段の適用制限は限定的に解されるべきである。前記最高裁判決の事例は、不法行為の被害者が、当該不法行為を原因として心神喪失の常況にある事態に至ったためその権利行使をすることが不可能となったまま二〇年間の除斥期間が経過したという特殊な事例であったことに照らせば、民法七二四条後段の適用が制限されるのは、右の事例に準じるような場合で、同条後段の規定をそのまま適用したのでは民法の時効停止の各規定(一五八条ないし一六一条)の法意に照らし正義・公平の理念に反すると考えられ、同規定の効果を制限することが条理にかなうなどの場合に限られるというべきである。

原告らは、昭和四二年(一九六七年)に協会を設立して被告らと補償交渉を行ってきたが、被告らが補償を行うかのような態度を示したために法的権利の行使が遅れたことを主張する。

しかしながら、原告らが行った請求に対し、被告会社らが示した態度は、後述するとおりの不明確な内容のものであるにすぎず、時効中断事由(民法一四七条三号)にも該当しないようなものであったことからすると、原告らが主張するような被告らの交渉態度に関する事実をもって、民法七二四条後段の効果を制限すべき事情と認めることはできない。

そして、前述のように、日本国と大韓民国との間で、昭和四〇年(一九六五年)に日韓基本条約が締結され両国の国交が回復したことにより原告らが被告三菱らに対して補償請求をするための障害は事実上もなくなったこと、現に在韓被爆者らによって協会(昭和四二年)が、同協会の下部組織として韓国原爆被害三菱徴用者同志会(昭和四九年)がそれぞれ設立され被告三菱らとの交渉を行ってきたこと、などからすれば、仮に、昭和四〇年九月頃の時点で民法七二四条後段規定の効果の発生が制限されていたとしても、遅くとも右同志会が設立された昭和四九年頃にはその制限すべき事由は解消されていたというべきであり、民法一五八条ないし一六一条が停止事由の解消から時効完成までの期間を二週間又は六か月間としていることに照らせば、協会あるいは右同志会の設立時を基準としても本訴提起までに二〇年以上の時間が経過している本件では民法七二四条後段の適用により原告らの請求権が消滅していることは明らかである。

よって、被告三菱及び被告菱重の除斥期間の経過による請求権消滅の主張には理由がある。

3  安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求について

原告らは、被告国にかかる請求と同様、旧三菱は、原告らの生命・身体の安全はもとより、原告らに対し使役の内容に適した衣類や食料を提供し、適当な宿舎・寝具を整えるなどして原告らが安全かつ適当な環境を享受できるように必要な措置を取るなどの安全配慮義務を負担していたと主張する。

しかしながら、被告国に対する原告らの主張と同様、右主張は、なお一般的・抽象的な安全配慮義務の主張にとどまっており、安全配慮義務の具体的主張があるとは認められない。

したがって、安全配慮義務違反(債務不履行)に基づく損害賠償請求の主張は、その余の点について判断するまでもなく採用できない。

4  未払い賃金等請求について

不法行為に基づく請求について述べたのと同様の理由で、未払い賃金等請求についても被告三菱及び被告菱重の主張からまず検討する。

(一) 賃金支払い形態

<証拠略>によれば、旧三菱から原告らに対して支払われる賃金は、前月の二一日から当月の二〇日までを一か月として締め切り、一週間後の二八日に出勤日数に応じて支給されていたと認められる。

(二) 原告らの請求内容

原告らは、旧三菱の未払い金として、第一に、全く支払われなかった賃金(原告番号一ないし三七の原告については昭和二〇年七月ないし九月分、同三八ないし四六の原告については同年八月及び九月分)を、第二に、履行されなかった家族への送金約束相当分を、第三に、賃金から控除されていた国民貯金相当分をそれぞれ請求している。原告らが後二者についていかなる性質の債権として主張するのかは必ずしも明らかではないが、賃金とするならば、第一の請求とともに一年で時効消滅し(民法一七四条一号)、仮に預託金返還請求権であるとしても一〇年で時効消滅する。

(三) 消滅時効期間の起算点

前記第七・一1(六)において認定したところによれば、遅くとも、昭和四九年八月末日には原告らが右請求権を行使することが可能となったと認められる。

消滅時効の起算点に関し、原告らは、被告菱重に対する請求権につき、原告らが被告菱重の存在を知り得たのは平成九年一二月二日であるから、同被告に対する未払い賃金等請求権の消滅時効の起算点は同日であると主張する。

ところで、民法一六六条一項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは、その権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく、権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるものであることをも必要とすべきである(最高裁昭和四五年七月一五日大法廷判決・民集二四巻七号七七一頁)。

これを本件についてみると、確かに戦後間もなくの混乱期においては原告らが被告会社らに対して未払い賃金等の請求権を行使することを期待できる状態ではなかったと認められるけれども、協会の役員が来日して被告三菱とその支払いについて交渉を始めた時点(昭和四九年八月)においては、原告らは被告菱重の存在を知り得る立場にあったものということができ、したがって、前述のとおり、原告らの被告菱重に対する請求権についても、遅くとも昭和四九年八月末日にはその権利行使を現実に期待できるものとなったというべきである。

(四) よって、この時から一年又は一〇年の経過により原告らの被告会社二社に対する前記債権は時効消滅したことになる。

(五) 被告会社らによる消滅時効の援用は権利濫用・信義則違反として許されないか。

時効の援用が信義則に反し、あるいは権利濫用として許されないといいうるためには、債権者が債務者の積極的な行動・態度を信頼して時効中断などの措置を執らなかったところ、債務者が時効期間徒過後これを覆し時効を援用したとか、債務者の行為によって債権者の時効中断の行為が妨害されたなど、債権者が時効中断の措置をとらなかったことが真にやむを得ないものと評価され、債務者が時効を援用することが社会的相当性の見地から許容された限界を逸脱したと認められる場合であることを必要とすると解すべきである。

これを本件についてみると、原告らが時効援用の信義則違反あるいは権利濫用を基礎付ける事由として主張するところは、原告らが本件訴訟提起時まで司法的解決手段に訴えなかった諸般の事情、すなわち、日本国政府と韓国政府との外交協議の経緯や被告三菱と協会との交渉経緯等から、原告らが被告三菱に対して、同被告が賠償問題解決に向けて努力してくれているとの期待を抱いていたこと並びに本件未払い賃金等の債権が強制連行及び強制労働の結果発生したものであることにあるが、前者については、<証拠略>によれば、昭和四七年ころ、外務省が、在韓被爆者問題について、法的には日韓請求権協定によって解決すべきであるとの立場を明らかにしつつも、人道的見地からの救済を検討したことがあり、また、昭和四九年八月、協会の役員から、在韓被爆者に対する救済を人道上の問題として検討してもらいたい旨申し入れたことがあったのに対し、被告三菱が協会の役員に「国、自治体、他の企業、一般社会が救助する動きをみせたとき、その一員として協力する」旨返答したことがあり、更には、そのころ、旧三菱で徴用工として労働に従事した者らからの補償要請に対し、外務省職員が同人らと被告三菱の担当者との協議を行うについての仲介を行ったことはいずれも認められるが、被告三菱が未払い賃金債務等について、その支払い義務を肯定したとか、被告三菱において支払い意思があると原告らが誤解することに合理的理由があると認められる言動を行ったことを認めるに足る証拠は存在しない。また、後者については、未払い賃金等債権の性格は労働債権なのであるから、いかなる縁由の結果そのような労働債権が生じたかという点は、その縁由自体が不法行為を構成するのであればそれを原因とする損害賠償請求権の発生及びその消滅を問題にすれば足り、労働債権自体の消滅時効を検討する際には、右の点は考慮すべきものでないと解される(ただし、原告らの被告三菱及び同菱重に対する不法行為に基づく損害賠償請求が理由がないことは前記のとおりである。)。

なお、旧三菱は未払い賃金等について供託をしており禁反言の原則に反するとの原告らの主張は、右供託が昭和二三年九月七日にされていることから、旧三菱(被告三菱及び被告菱重)が時効完成後に債務を承認したとの主張とも解せられるが、この供託後本件訴訟提起に至るまでの間に新たに消滅時効期間が経過していることは明らかであるから、いずれにしても原告らの主張は採用できない。

(六) 以上のとおりであり、原告らの被告三菱及び同菱重に対する本訴請求は、原告らが主張している不法行為に基づく損害賠償請求権及び未払い賃金等支払い請求権が発生しているとしても、それらは消滅時効の完成・援用あるいは除斥期間の経過により既に消滅していることになる。

5  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの被告三菱、被告菱重に対する各請求はいずれも理由がない。

三  結論

原告らの主張の趣旨は、原告らは日本国民として国民徴用令の適用を受け、その意思にかかわりなく旧三菱の広島機械製作所及び広島造船所における労働に従事させられ、その結果被爆したこと、被爆による放射線障害は長期かつ深刻なものであり、そのため、自身及びその家族の戦後の生活は、経済的、肉体的、精神的困難が伴うものであったこと、在韓被爆者は戦後長期間格別の援護を受けることがなく、現在においてもその援護内容には日本国内在住の被爆者との間には大きな差異があること等を指摘し、被告国及び被告会社らに対して、種々の法律的構成により過去の行為の清算を求めているものである。そして、原告らが被爆するに至った経緯や被爆による健康被害の特殊性に鑑みると、原告らの主張には傾聴に値する部分が存することは否定できない。しかしながら、被告国の在韓被爆者対策については、遅きに失した感は否定できないものの、先に認定したとおり、現在までには一定の施策が講じられており、今後の在韓被爆者援護の内容をいかなるものとするかは被告国の立法政策に属することがらである。

そして、原告らが本訴において被告らに対して求めている各種法的請求権はいずれの観点からもこれを肯定することができないことはこれまでに述べてきたところである。

以上のとおりであるから、原告らの本訴請求はこれらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤誠 白神恵子 富岡貴美)

(別紙一)当事者目録<略>

(別紙二)賃金請求金額一覧表<略>

(別紙三)原告らの主張<略>

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